フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

中西ディレクター・2

私が最初に評価したラジオディレクターがラジオ大阪の中西ディレクターだった。
放送局に就職し、一応ディレクターにもなれた私は、心の師匠ともいうべき中西ディレクターに一度お会いして薫陶を受けたいと思った。
で、ラジオ大阪の関係者に問い合わせた。
今、中西ディレクターはどうされているのですか?と。
ラジオ大阪にはだいぶ前からおられないというのは聞いていた。
既にかっての人気番組目白押しのラジオ大阪ではなくなっていたので、おそらく中西ディレクターはもうおられないのだろうと感じてはいた。
もし、一線で活躍されていたら、こんなにラジオ大阪が凋落するはずはない。
悲しいかな、腕のいいディレクターは、いつのまにか現場を外されるものなのだ。
腕のいいディレクターは、組織には受け入れられない。
管理を受け入れない、と言ってもいいだろう。
一匹狼で、上司の言うこと等バカにして相手にしなかったりする。
だから、いつか敏腕ディレクターは組織の中で外される。
これはプロデューサーもそうである。
能力のある専門職は、組織から疎外されるものなのだ。
さて、その中西ディレクターがどこにいるのかを問い合わせた私に、今はある制作会社の制作部長をされているという答えが返って来た。
私は早速会いに行った。
今、こんな番組を作っています。
昔は中西ディレクターの番組を聞きながら本当に感心していました。
どうか、面白い番組はどうやって作るのか、御教示してもらえませんでしょうか。
私は、そう思いながら制作会社の事務所に行った。
だが、私の願いはかなえられなかった。
その時の中西ディレクターは私の知っている中西ディレクターではなかった。
何かにスポイルされてしまった、そんな感じさえして、私は話す言葉を失ってしまった。
中西さんは、若造の私に敬語を使った。
仕事をもらうクライアント的な扱いを受けた。
発注業者と下請け業者みたいな関係がそこにはあった。
いくら私が師匠と持ち上げようとしても、それらは簡単にいなされてしまった。
悲しかった、私は「違うんです、今私がこうしていられるのはすべて中西ディレクターのお陰なんです」と言おうとしても、それは相手に全く伝わらず、私は諦めて、その場を辞した。
何が、中西ディレクターを変えてしまったのだろう。
とはいえ、私は今もラジオ大阪の中西ディレクターに対するリスペクトは変わらない。
あの時から30年近くが経った。
中西ディレクターは、先日お亡くなりになったとある人から聞かされた。
そのうち、誰も中西ディレクターのことなど忘れてしまうだろう。
私はリスペクトの気持ちをこめて、この欄に中西ディレクターの名前を刻もうと思った。
そんな心の師匠がいた私は、とても幸せだった。