フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

久しぶりの書込み〜ちょっとだけコミュニティFM

2013年、初めての書込み。
長い間、コミュニティFMについてはあまり言及してこなかった。
今、皆さん、どうされているのだろう。
そう思って先日、あるコミュニティFMを訪問。
だからどう?と言われても困るが、元気に活動されているのを見て、よかったなと心から。
宝塚のコミュニティFMで活躍されていた方がお亡くなりになってから、気分的に疎遠になっていた。
私でも何かお手伝いできないかなと思っているが、今のところきっかけがうまくつかめないでいる。
何かありませんか?皆さん。
ということで、今日は別に書いているブログ、「フロムさんの大きなお世話〜プロデューサー逍遥記」をそのまま転記する。
放送現場を心から愛している、オッサンのぼやきとでも思って、お読みいただければ。


最近、そろそろ次のブログを書きませんかという声も減ってきたようだ。
面白いね、あまり反応がないと、こちらのモーチベーションも上がらずで、問題意識もあまり持たなくなってしまう。
このまま、普通なら消えてしまうのかなあ、それもちょっと癪。


がんばって、ブログを書いてみる、中味があるものができるかどうかは自信ない。
少し前だが、あるコミュニティFMを訪れた。
態々社長さんに応対していただき、色々ラジオについて語ったのだが、「すると、コンサルタントのようなお仕事をされておられるんですか?」と聞かれてしまった。
「い、いえ、私はコンサルタントじゃありません、プロデューサーという立場で、基本、放送現場の対応がメインです。」と答えたが、はたして真意は伝わったろうか。


コミュニティFM業界では、このコンサルタントという言葉がよく出てくる気がする。
私が育ったラジオ業界では、コンサルタントという言葉、ほとんど聞いたことがなかった。
コンサルなど必要がないというか、周波数さえ割り当てを受ければ、その日から儲かるというイメージが強かった。
多分、コミュニティFMも、認可されれば何とかなると思われていたような気がする。
それゆえ、会社を作る時に億単位の資本が集まったり、投資を行われたりした。
今なら、バカじゃなかろうかと思われる金の使い方を、その当時のコミュニティFMは当たり前のように行っていた。
このあたりのことは、私の別のブログ、「フロムさんの大きなお世話〜コミュニティFM編」に色々紹介されているので、お時間のある方はご参考までに。


さて、コミュニティFM業界に突然と跳梁跋扈しはじめたコンサルタント、何しろコミュニティFMを始めた人たちは、放送の現場は何とかイメージできても、実際どうやって会社を作り、どうやって運営していいのかわからない。
それゆえ、どうしてもコンサルタントにおんぶにだっこにならざるをえなかったのだろう。
結構なコンサル料とか放送機器の購入、設置、調整などでずいぶんな額を持って行かれたと聞く。
コミュニティFMに、そんなものオーバースペックだろうと思われるものでも、何故か本格的なプロ機器を欲しがるところが多く、結果的にそうなってしまったのだろう。
で、放送開始、なのに、さっぱり収入が伴わない。
コンサルタントって何だったんだ、今ではそう思っておられるコミュニティFM関係者も多いと聞く。
ま、そういうことで、今やコミュニティFMコンサルタント業はあまり商売にはならなくなったようだが。


コミュニティFMコンサルタント、まじにやったら大変だろうと思う。
コミュニティFMに必要なノーハウ、それは営業開発部門だと私は思っている。
早い話、マーチャンダイジングマーケティング
どんな商品を作り、どんな客にそれを売るのか、そのダイナミズムを教えるコンサルタントがいない。
これが放送局のビジネスモデルです、などと説明される方はおられるが、もはやその発想は古いというか、コミュニティFMには適用できないのではないかと思うことが多かった。
大体、コミュニティFMを売るにあたって、広告代理店と相談して云々なんてのは、営業をやったことがないのかと私でさえ疑問に感じることだ。
広告代理店が相手にしてくれるわけがない、地元の看板を売ることをメーンにしているところならともかく。


確かに、コミュニティFMで、地元の広告代理店がバックについているところだと、まだ相手にしてくれるだろうが、多分、それを実際に扱うとなると何らかの工夫をしないと無理だと気づいておられるはずだ。
何らかの工夫、これ大事だ。
それが、コミュニティFMマーチャンダイジングマーケティングに通じるのだ。
ここでは、くだくだしく書かないが、従来のラジオ業界の常識だけで、コミュニティFMを経営しようというのは無謀に過ぎるというのが、私のこれまでの意見である。


さて、コミュニティFMのことを書くつもりではなかった。
タイトルのラジオマンの悲劇と喜劇が泣くというものである。
で、ここでまた、村上春樹氏のエッセイから引用をする。
話はそこから始めよう。

「たとえ十人のうちの一人か二人しか貴方の店を気に入らなかったとしても、その一人か二人があなたのやっていることを本当に気に入っていくれたなら、そして『もう一度この店に来よう』と思ってくれたなら、店というものは、それでけっこううまく成り立って行くものなのだ。」(ロールキャベツを遠く離れて)

何か客商売の基本を言われているようだ。
実際、バーを長く経営されていた村上さんだから、その結論には体験が裏打ちされているのだろう。
で、私、、ラジオ業界も同じだと思っている。
十人のうち一人、二人ではない、百人のうち一人や二人で十分だ、それがラジオなのだと。
聴取率、1%、2%の争いである、つまり百人いればそのうちの一人が聞いてくれれば、何となく維持できる、それがラジオなんだということを。
つまりは、多数等押さえる必要はない、少数をいかに顧客にするか、それがラジオの肝なのである。
なのに、現実にラジオがやっていることは何か。
常に多数にどうおもねるかばかりやっている、まるで100人のうち100人の人が聞いてくれるとでも思って、番組内容を決めている。
違うんだと思うよ、そんな多数を狙うより、少数派を狙う方が効率がいいんじゃない、そう思わない?


みんなが聞くようなものは、ラジオにはもはや必要じゃないかもしれない。
ま、安心して聞けるラジオというのはその通りだと思うけど、中味まで毒にも薬にもならないようだと果たして毎回聞いてくれる人がどれだけいるのかという話だよね。
ということで、しばらくそんな現場の悲劇と喜劇について書いていくつもり。
話が中途半端になった時は、どうぞご指摘あれ。