フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

すべての人の心に花を

from32011-03-27

震災以後、自分が今何をしているのか、統合できないままでおります。
4月から始まる番組のために、久しぶりに初対面の人達に囲まれているということも影響しているのでしょう。
皆さん、この番組を通じて何をどう実現しようかと思いを巡らしておられます。
この機会に、次のステージをつかもうという若い人も多いでしょう。
私の場合は、次に何かあるはずだから頑張ろうという純粋な気持ちはやはり薄いかもしれません。
もう、そんなに放送の世界で自分の中に可能性があるなんて思わない方がいいのではというのが正直なところです。
できるだけ多くの人に、機会を供給するのが私の役目かなと思っています。
放送局の一つの役割、それは若い人にチャンスを与えること。
私もかって、多くのチャンスを放送局からいただきました。
そのおかげで、今も一線で働けるだけの知識と人脈を得ることができたわけです。
私は、本当に私を育ててくれた放送局に感謝しています。
今、ラジオ局は微妙な段階にさしかかっています。
震災報道で、ラジオは本当に久しぶりに脚光を浴びています。
再び、人々の心に存在感を回復できています。
「ラジオなんか古い、聴いたことがない」なんて台詞は、しばらく広告業界からも出てこなくなるでしょう。
それが、直線的にビジネスチャンスになるとは思いませんが、センスのある営業マンなら被災からの復興にラジオをこう使いましょうとクライアントにアピールされるでしょう。
もちろん、今はビジネスを考える時ではありません。
一人でも早く平常心を回復させ、元気に再起の道を歩めるようお手伝いすることです。
すべての人の心に花を、とりあえず少しずつ、ラジオはそれを歌い続けてほしい。
私も、一緒に4月から歌っていくつもりです。


今日は、東京スカイツリーが窓から綺麗に見えたので撮ってみました。
放送業界にとって、次世代の象徴が634mのこの塔なのかもしれません。

コミュニティFMの活躍

コメント欄を再掲します。


MasaruSMasaruS 2011/03/17 22:53 下記のようなリストを更新中です。ご参照を。
地震関連:被災地ラジオ局の周波数・Twitter・ネット配信一覧
http://radio-critique.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/twitter-bffa.html
各地からコミュニティFMの奮闘ぶりが伝えられてきています。
少ない人員で、地域のきめ細かい情報が伝えられていることに心から敬意を表したいと思います。
震災から1週間しかたっていませんので、まだまだ人々の心は平常ではおられません。
関東では、計画停電の中、業務も停滞気味で、しばらくは試行錯誤の連続のようです。
とにかく、普通に生活できる人は、過度に委縮することなく、本当に普通に生活を続けてください。
元気な人が謹慎すれば、弱い人はますます弱くなるのではと危惧しております。
特に西日本の人は、その場で頑張ってほしい。
東日本がシュリンクする分を、西日本がカバーしてほしい。
そうすれば、東日本も少しずつ元気になるはずです。
放送局もまた同じ。
東京から流れてくる放送をただ受けるのではなく、元気になる地元の放送をもっと流してほしい。
今では、全国の人がradikoでもlismowaveでも聞けるのです。
東京からの災害情報はある程度に限定し、もっと元気になる放送を。
それを望んでいる人も多いはずです。

東北地方太平洋沖地震

信じられないというか、唖然とするような事態が起きた。
私は、たまたま地下鉄大江戸線に乗っていて、都庁前数百メートルで遭遇。
穴の中で、突然右に左に揺さぶられるという経験は決して気持ちのいいものでもない。
乗り合わせた人々のほとんどが無表情で、無言で繋がらない携帯の画面を見ていたのが印象的。
それは、多分必死になって自分の精神状況を平静に保とうとしているのだと思う。
この人たちは、まわりの人に話しかけるということをしない。
私は隣の人に、「長いですね。」と話しかけたのだが、何の反応もされなかった。
突然の事態が起きた時には、人はまず自分の中に閉じこもるのだろう。
守るべきは、まず自分、他の人に注意を向けるのはそれが保証されてからということになる。
とにかく発生以来3日。
滅多に経験できないことに幾つか遭遇した。
1日に引っ越したばかりのマンションは10階。
先ほどまで、エレベーターはずっと使用不可だった。
30階とか40階とか住んでいる人ならどうしているのだろう。
部屋の中は、もちろん棚にあったものや、重量物が横倒しになって大混乱だった。
2回引越しをした気分というところだろうか。
とにかく、仕事をするにも、何から手をつけていいのかわからない。
今日は、一件駒沢公園で、ある写真家の方と打ち合わせがあるのだが、さて何の話をしていいのかうまくまとまらない。
東北のコミュニティFMの皆さんは、うまく機能されているのだろうか。
ライフラインがずたずたになれば、放送を続けるということすら困難になるだろう。
災害時に活躍するコミュニティFMといえど、今回のような未曾有の事態に対応するのは簡単ではない。
落ち着いたら、幾つかの教訓が語られることになるだろう。
今、私が言えることは唯一つ。
無理しないで、自分たちができることだけを地道に遂行してください。
がんばれ。


(参考)ある方のツイートです。


@Sohchan_KAT
現地情報は現地のコミュニティーFMで。東北には27のCFMがある。放送局と周波数はこちら→ http://bit.ly/fhlrde 市町村単位のきめ細かい情報を流しているはず。radikoでというのはナンセンス。ネット環境が正常だとも思えない。

過去のアーカイブ〜コミュニティFM7

from32011-03-03

3/1、東京の事務所移転でこの2〜3日忙殺されていた。
しかも、光回線が今日まで開通しないので、PCでのアクセスを休んでいた。
私のスタッフは、それをネット難民と揶揄していた。
事務所の移転は6年ぶりだったが、この間に信じられないほどのゴミがたまっていた。
今回廃棄したパソコン、10台近くあった。
一体、これだけのパソコン、どこに隠してあったのだろう。
で、やっと新居に落ちついて、このブログを書いている。(写真は窓から見える東京スカイツリー
コミュニティFMについての過去のアーカイブ、一応今回で最後である。
再びサッカーW杯関係の話から始まる。


何故か新宿にアイルランドのサポーターが目立つ。
どこかにたまり場でもあるのか。
何故にアイルランド
日本とアイルランドの関係って何かあるのだろうか。
武装闘争で有名なIRAは確か、北アイルランドの話だしね。
戦うアイリッシュというキャラクターがあったと思うけど、日本ではさほど流行もしなかったような。
基本的にカトリックケネディ大統領の祖先はアイルランド人、Macが名字につく人は、アイルランド系。
それ以上は余り知らないなあ。首都、ダブリン。
コミュニティFMの話はどうなった?
へえへえ、今からさせてもらいまんがな。
とはいえ、毎回毎回固い話題だと、読む方が辛いかなと思ったんです?。
コミュニティFMの作り手側として、一番気になることは、やはり自分の作った番組を誰が聞いてくれているか、だろう。
コミュニティというのは、基本的にあまり反応がないのが普通だ。
よほどビッグなプレゼントをしない限り、葉書だってほとんど送られて来ないはず。
これは、一応準キー局にいた私でも同じ思いがあったのでよくわかる。
コミュニティの100倍近いリスナーを相手にしていても、葉書なんて景品絡みでないと来やしない。
私がそこそこ力を入れていた番組に「ラジオ少年派」というのがあったのだが、深夜2時からの番組にしては葉書はよく来ていた。
3人のオッサンが、世事についてあーでもない、こーでもないとウダウダいうのがウリだった。
リスナーは、時々私達の会話に入って来たくなるらしい。
感想とか、私はこう思うとか、書いて来てくれる。
手紙も多かった。
当時は、メールなんてものはなかったので、はっきりしたことは言えないが、おそらく番組への参加者はもっと増えたことだろう。
面白かったのは、世事をあーでもない、こーでもない、とウダウダ言うこと。
それだけでリスナーはついてくれた。
コミュニティFMも、こういう番組を作ればいいのにと思う。
インターネットだってあるのだから、どんどん番組に参加してもらえればよいのだ。
ただ、重要な点がある。
出演者は少なくとも情報発信型の人間でないといけないということだ。
言葉の丁々発止というのも必要だろう。
当たり前のことを当たり前に言うようなキャラクターでは困るのだ。
だから、ディレクターは地域の情報発信者を発掘しないといけない。
それも一人ではなく、てい談できるぐらいの数をそろえないといけない。
鼎談型の情報発信番組は、ほとんどハズレがない、これ意外と当たってといると思うのだが。
最近では「遅く起きた朝は」とか古いと「やっぱり猫が好き」とか、色々あったはず。
とりあえず3人そろえること。
みんなが喋り手である必要はない。
スタッフでもいい、ただしキャラクターは明確に打ち出すことだ。
そうでないと、リスナーが3人の像を描けない。
どう考えても、共感してもらえそうにないキャラはどんどん外そう。
少なくとも3人は仲良くないといけない。
イベントだって、軽いノリで開催できるようなキャラにしよう。
騙されたと思って、鼎談番組やってごらん。
そこそこ反応あると思いますよ。


「ラジオ少年派」も復活版を一度でイイからエフエム大阪でやってみたいものだ、でも番組制作システムも違うし、やっぱり無理かなあ。
「鼎談型の情報発信番組は、ほとんどハズレがない」というのは、今もそう思っている。
私は、2人でしゃべる番組は当たり前すぎて、あまり好まない。
誰かがしゃべって、それに相槌を打つだけの番組になりやすいし、何かへこへこするようなキャラクターになりそうで嫌なのだ。
ま、このあたり、好みの問題でもあるので、過度に言うのは避けたい。
ところで、最後に「ラジオ少年派」のような番組をやりたいと書いているが、実は幸せなことにFM大阪で1年間復活していたのである。(2007.9〜2008.9)
番組名は「水谷ひろしのちんからタイム」。
出演は、昭和プロのタレント水谷ひろしさんと、渋谷東急で「大・大阪博覧会」を4年に渡って制作、ビリケンブームを巻き起こしたプロデューサーのN君、そしてディレクター兼務の私。
ご丁寧に、あるリスナーの方が、Wikipediaに登録してくれているので興味のある方はどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E8%B0%B7%E3%81%B2%E3%82%8D%E3%81%97%E3%81%AE%E3%81%A1%E3%82%93%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0
かっては30代だった3人だが、今は皆初老。
でも、ノリは相変わらずで、不良中年というか不良老人というか。
ま、楽しい時間をすごさせてもらいました。
本当は、コミュニティFMでやらせてもらえるならと思うのだが、水谷ひろしさんはそこそこのタレントさんなので、ボランティアというわけには行かないだろうな。
それでも、面白そうという方がおられたら、メールなどいただければ幸い。
何年後かには、やらせてもらえうようになるかもしれないしね。

過去のアーカイブ〜コミュニティFM6

from32011-02-27

今日は、朝からスターダストレビュー30thメモリアルギャラリーで東京タワーに行き、その後東京マラソンを見物。
市民参加でこういう催しができることは素晴らしいと思う。
多くのアスリート、多くの芸能人も加わって、街はもりあがっているという感じ。
日比谷通りを走る後姿と、銀座四丁目の写真をアップした。
皆にがんばれー!と叫ぶ声多数。
捨てたものじゃない。
TOKYO MARATHON at GINZA on Twitpic
地下鉄銀座駅で、偶然こんなスタレビ東京マラソンの駅張り写真もとれた。
にぎやかしということで、ご覧いただければ。
2POSTERS on Twitpic
では、本日のアーカイブです、感想は後ほど。


コミュニティFM6/過度な管理は番組を潰す
2002-6-2 23:36
あるコミュニティFMのオーナーの方針を聞いたことがある。
私は、日本の文化を大切にしたい。
日本語を大切にしたい。
だから、出演してもらう人は、きれいな日本語を話す人に限定したい。
J-POPも最小限度にしかかけないようにと制作者に言っている。
私は、別に反論しなかった。
オーナーがそう思われるのだったら、私が言うことはなにもない。
それで経営が成り立ち、リスナーがついて、少しでも正しい日本語の啓蒙に寄与するなら結構なことだと思う。
それで、経営が成り立つかどうかは、あえて触れない。
楽ではないだろうと思うだけだ。
ただ一言だけ言っておきたい。
ラジオというのは、社会の合わせ鏡的な部分も必要だということだ。
上から、教育しようとか、管理しようとかいう発想が強ければ、リスナーは鬱陶しがって聞いてはくれないということだ。
ニーズがあるからこそ、リスナーはダイヤルを合わせるのだ。
放送をすれば、絶対に誰かが聞くわけではない。
ラジオ日本なんか、見事にずっこけたではないか。
洋楽放送禁止、かけるなら演歌とか民謡とか伝統的音楽だけ。
経営の根幹は巨人戦の独占中継があるからいいのだ、そんな漫画的な経営方針を、当時のアウトロー的存在だった社長が言っていた。
結果、リスナーがどんどん離れて行った。
スポンサーだって、そんな放送局にいつまでもおつきあいで金だけ出していられない。
伝統的な日本への回帰を志向したと思われる、時代錯誤な経営方針は、市場のメカニズムによって業界から追放された。
どんなユニークな編成方針も、市場のメカニズムの前には無力である。
それを、何故かわかっていない放送人がいる。
過度な管理は番組を潰す、というのはまさにそのことを言っている。
市場のメカニズムに番組をゆだねるというのは、できるだけ番組をセットフリーにすることから始まる。
自由な番組作りこそが、自由な市場経済と対応する。
スポンサーの声を聞き、リスナーの声を聞き、そして己の心の声を聞く。
それらの弁証法止揚の中から、新しい人気番組が生まれてくるのである。
その為には、なるだけ管理的なキーワードを排することが編成マンに求められる。
どんな番組を作るのも自由だ。
最低限度の品格と倫理が通奏低音のように流れていれば、どんな番組もOKである。
あれやったらダメ、これやったらダメなんて言っていたら、どこに弁証法の入る余地がある。
そんなの、どこぞのコンピューターにやらせておけばよいのだ。
制作費をかけて作る番組なら、思いきり自由な番組にしよう。
大体、金もなしで自由な番組作りなんか、絶対にできないことを知るべきだ。
自由とは、基本的にコストが高いものである。
これぐらいの普遍的な真理は、放送マンなら知っていてもらいたいものだ。


但し、金をかけたからといって自由な番組にはならないことは、必要十分条件を知る人なら誰でもわかるだろう、自由の為に金を払うということは、私達の究極的な義務ではないかと近頃痛感するようになった、、、
ラジオ日本のキラーコンテンツだった巨人戦も今は見る影もない。
巨人だからといって、無条件にスポンサードしていたクライアントも目だって減った。
ラジオも巨人も過去のビジネスモデルを見直さなければならない。
ほっておけばジリ貧。
どこも大変である。

過去のアーカイブ〜コミュニティFM5

放送局時代の私の上司が亡くなった。
ビールが大好きで、他の酒を飲むのを見たことがない飲兵衛さんだった。
享年77歳。
若い顔をしたまま、棺の中に納まっておられた。
色んなことを教わった。
その方が新入社員の頃はまだ取材用のテープが高く、インタビューの練習などに使う収録用のテープはなかった。
先輩の方から、廃棄したテープがあるから、それを繋いで使えと言われ、まだ大丈夫そうなテープの部分をスプライシングテープで繋ぎ合わせて、5分間ぐらい使える取材用テープを作ったのだとか。
だから、お前も練習だと思って、そういうテープを作って使ってみろ、色々気づくことがあるから、と。
このあたり、放送局は職人の世界であったことがよくわかる。
今は、そういう職人技よりも、マウスとキーボードの処理の仕方が重視されているようだ。
でも、あれって、あまり職人っぽい感じがしないなあ。
何か、心のそこから気づくことって、ありました?
では、アーカイブの続きである。
最後にエムボマがどうとかとあるが、元ガンバ大阪で大活躍、そしてこの年のサッカーW杯でカメルーン代表で来ていた選手です。


2002-6-1 23:57
旅の空の下にいる。
とある駅に下り立ったら、駅前にコミュニティFMがあった。
町の公共施設の中に入っていて、小奇麗にしてある。
番組はどうかと、耳をそばだてたが、音楽が意味もなく流れているだけだった。
地方へ行くと、コミュニティFMは立派な文化施設だったりする。早い話、多目的ホールとか会館、公民館と同じようなものだ。
地域の人たちが何かしたい時に、町がそのための施設を提供するという構図。
決して、町はコミュニティFMを使って、何が何でも情報発信の核にしようとしているわけではない。
そういうお題目だけはいくらでも唱えているが。
この場所から、どんどん情報を発信して下さいとか、情報交換の場にしてください、とかだ。
しかし、それは単なる願望にとどまっている。
口先だけで、情報発信の基地などにはならないのは自明だ。
ホールなどでひどいのは、高い金をかけて東京からアーチストやイベントそのものを購入して来ることがメインのように考えていること。(NHKの番組に来て欲しいという秋波も幾度となく送っている、何とかなりませんかと私に陳情される人もたくさんおられた。)
確かにホールの求心力は高まるが、情報発信は後が続かない。
単発で、大きなことをやっても、文化的波及力は一時的なものでしかない。
何らかのシステムを作り、日常的に効果的な情報を効果的な層に向けて発信して行く。
その構造がない限り、どんなインフラもただの飾りである。
コミュニティFMは、ただの飾り?
でも、今日行った町のように、ほとんど情報発信の場がないようなところでは、コミュニティFMでも期待するものは大きい。
音楽を聞こうと思えば、NHKのFMを聞くか、県域FMを聞くか、やや不満でもコミュニティFMを聞くかしか、選択がない。
どうも近くに、CDのレンタルショップもなさそうだし、レコード店もあるかどうか、わかったものではない。
自然とまったりと共存している、この町の人々には、まったりとしたコミュニティFMがあってもいい。
ハワイで聞いた、日系のラジオ局なんか実にまったりしていたなあ、と今思い出したところ。
司会者は電話を受けているだけ。
リスナーが次々電話をかけて来ては、伴奏なしで電話口で歌を歌う。
ワンコーラスだけ、司会者は何も言わずに聞いている。
ひどい歌も一杯ある。
我慢しているのか、聞いていないのか。
「はい、ありがとう、今日は夕方の献立は何するつもり?」などと聞いている。
どうでもイイ話題が、まったりとかわされる。
それで、聞く人が一杯いるのだから、けっこうなことだ。
何も、県域FMのように、若者向けのテンポの早い、饒舌な番組にすることもない。
町の人と呼吸をあわせれば、自ずとどういう番組を流せば、リスナーは毎日ダイヤルを合わせてくれるかがわかるだろうに。
頭で、ああだこうだと理屈ばかり考えていても、リスナーはやってはこない。
大事なのは、「気」であったり、「空気」であったりするのではないか。
それは、ともにその場にいて、自分の身体すべてを使って感じるものでなければいけない。
コミュニティでも、意外と支持されている番組があるとすると、おそらくそういうことがきっちりできている番組であろう。


とある駅で、駅弁などを買い求め、待ち合い室で食べていると、どこからかサッカーの実況の声が、エムボマがどうたらこうたら、田舎で聞くワールドカップはちょっと違和感、、、
ハワイの番組、スポンサーは地域の商店が多かったと記憶している。
今日は何が安いとか、新しくこういうものが入荷したとか、車の御用はとか、修理はどこそこへとか。
すべてが日常の一部なのである。
放送は特別なものではない、コミュニケーションの一ツール、情報のちょっとした出口。
大層なこと考えずに、地道に放送続けていれば、自然とコミュニケーションの輪ができるのかもしれない。

過去のアーカイブ〜コミュニティFM4

私がまだ放送局のプロデューサーだった時、あるアイドル歌手の番組を作っていた。
その子は、性格的にとってもしっかりしていて、今も立派な主婦として亭主を支えているのだが、その時の番組を作っていたディレクターはひどかった。
広告代理店がこのディレクターでと指定してきたので、ま、いいかと思って採用したのだが、本文にもあるようなタイプのとんでもディレクター。
とにかく安い制作費で番組を作りなれているせいか、すべてが効率一辺倒(これをやっつけ仕事と呼ぶ)。
「これはどうするの?これは、もう少し構成しなおした方がいい。」と注文をつける私に「いいですよ、そんなこと、誰も気にしてませんから。」とお気楽な対応。
俺が気にしているんだよ!と頭に来てしまった。
君は、そんなタイプの放送局の人間ばかりを相手にしてきたのかもしれないけど、私がプロデュースする以上、いい加減な番組作りは許さないと宣言。
全体の構成は私が担当、そして取材の部分も私が別のリポーターを使って番組の中にはさみこんだ。
ディレクターは、あきれていたが黙って私に従っていた。
ま、そりゃ、力関係からいって、そうするしかなかっただろうな。
広告代理店も、文句も言わず、私の指示に従っていた。
アイドル歌手さんとそのマネージャーさん、ライターの方は、番組が活気づいたので毎回楽しそうにされていた。
よく飲みにも行ったし。(ディレクターはいつも外していたけど。)
その広告代理店、今は兵庫県のFM局で、トラブルに巻き込まれている最中。
たまには連絡してくれればいいのにと思うが、それどころじゃないのだろう。
ということで、私の適当な昔話とともに今回もお楽しみください。


2002-5-31 13:50
番組を作るということって、どういうイメージを持っておられるのかな。
お手本があって、それをなぞればいい。
そのうち、習熟すると自分の個性を入れて、自分にしか出来ない番組作りの完成・・てなとこか。
お手本って、どこにあるかというと、これ、既成のラジオ番組てことになるわけだ。
だから、コミュニティFMって、ほとんど県域放送(とくに東京とかの)の真似から入る。
それがカッコよく聞こえるのだろう。
だから、これをお手本にして、ということになる。
長くこの世界にいると、とてもお手本とは言えない番組も多い。
アイドル歌手のDJ番組なんて、誰かが金を出さなければ(スポンサード)成立しない番組が多い。
ディレクターで腕のいいのがいると、辛うじて聞けるものになるけど、ほとんどはやっつけ仕事みたいなものが多い。
どうせ、何ヶ月かしたら終るんだ。
スタジオ代も高いし、本人のスケジュールもタイト。
だから、色々あっても時間通りにどんどん作る。
粗製濫造の工場のようなものだ。
こんなもの、手本にするコミュニティFM哀れ。
よく、番組の作り方とか、ディレクターの心得とか活字になったりしているが、そんなもの読んだぐらいで、まともな番組など作れるわけない。
大車輪のやり方が書いてある本があって、それを熟読玩味しても、次の日に大車輪ができるかというと、できるわけないのと同じだ。
番組作りは、場との戦いであり、人々との戦いであり、時間との戦いである。
そして、最後に自分との戦いである。
これらの戦いを通じて、瞬時に状況を判断する能力が開発される
番組を作ると言うのは、この能力開発をおろそかにしてできるものではない。
まず、お手本を見つけよう。
リスナーが支持している番組を探そう。
その番組を思いっきりまねるところから始まってもいい。
そして、その真似だけで客がついてきたら、貴方の真似は完璧ということだ。
後は、自分の個性を交えながら、自分だけにしかできないと思える番組作りに励むことだ。
真似だけで終る馬鹿も多いので、要注意である。
番組作りは、プラモデルのキットを組み立てる作業に似ていなくもない。
キットになっているから、素材はすでにここにある。
後は、設計図にそって、組み立てればいいのだが、これがなかなか綺麗に組み立てられない。
確かにできあがったものは、遠くから見ればどれも同じように見える。
しかし、近くに寄れば、その差は歴然だ。
熟練した人の作品は、見るからによくできている。
同じ素材で作ったとは思えない程に。
「イイ仕事してますねえ?」なんて褒め言葉そのもの。
結局、この「イイ仕事してますねえ?」というのが、ある意味では、番組作りの目標だ。
それはコミュニティFMであろうと、県域FMであろうと同じことだ。
ということで、今日の更新はこれまで。
これから、私は又旅に立つのであった。


番組制作ディレクターには二つのタイプがある。職人型と芸術家型。一般には職人型の方が支持されやすい。私はどちらかというと、芸術家型、だから最終的にはパージされやすい面がある、尚、このほかにディレクターという肩書きだけの、アホんだら型も世の中にはいるようだが、
コミュニティFMにも、「イイ仕事」をしている番組がある。
センスのいい担当者が自分の能力を目一杯使って作っている番組だ。
出演者が少しでも魅力的になるよう、リスナーが少しでも喜んでくれるよう、自分の時間を割いて一生懸命作っているのがわかる。
それがメッセージとして受け手に伝わってくるのだ。
分る人は分るだろう。
未来の文化は辺境から来る。
コミュニティFMで日々番組作りに奮闘する皆さんへの期待をこめて、書いておきたい。