フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

過去のアーカイブ〜コミュニティFM6

from32011-02-27

今日は、朝からスターダストレビュー30thメモリアルギャラリーで東京タワーに行き、その後東京マラソンを見物。
市民参加でこういう催しができることは素晴らしいと思う。
多くのアスリート、多くの芸能人も加わって、街はもりあがっているという感じ。
日比谷通りを走る後姿と、銀座四丁目の写真をアップした。
皆にがんばれー!と叫ぶ声多数。
捨てたものじゃない。
TOKYO MARATHON at GINZA on Twitpic
地下鉄銀座駅で、偶然こんなスタレビ東京マラソンの駅張り写真もとれた。
にぎやかしということで、ご覧いただければ。
2POSTERS on Twitpic
では、本日のアーカイブです、感想は後ほど。


コミュニティFM6/過度な管理は番組を潰す
2002-6-2 23:36
あるコミュニティFMのオーナーの方針を聞いたことがある。
私は、日本の文化を大切にしたい。
日本語を大切にしたい。
だから、出演してもらう人は、きれいな日本語を話す人に限定したい。
J-POPも最小限度にしかかけないようにと制作者に言っている。
私は、別に反論しなかった。
オーナーがそう思われるのだったら、私が言うことはなにもない。
それで経営が成り立ち、リスナーがついて、少しでも正しい日本語の啓蒙に寄与するなら結構なことだと思う。
それで、経営が成り立つかどうかは、あえて触れない。
楽ではないだろうと思うだけだ。
ただ一言だけ言っておきたい。
ラジオというのは、社会の合わせ鏡的な部分も必要だということだ。
上から、教育しようとか、管理しようとかいう発想が強ければ、リスナーは鬱陶しがって聞いてはくれないということだ。
ニーズがあるからこそ、リスナーはダイヤルを合わせるのだ。
放送をすれば、絶対に誰かが聞くわけではない。
ラジオ日本なんか、見事にずっこけたではないか。
洋楽放送禁止、かけるなら演歌とか民謡とか伝統的音楽だけ。
経営の根幹は巨人戦の独占中継があるからいいのだ、そんな漫画的な経営方針を、当時のアウトロー的存在だった社長が言っていた。
結果、リスナーがどんどん離れて行った。
スポンサーだって、そんな放送局にいつまでもおつきあいで金だけ出していられない。
伝統的な日本への回帰を志向したと思われる、時代錯誤な経営方針は、市場のメカニズムによって業界から追放された。
どんなユニークな編成方針も、市場のメカニズムの前には無力である。
それを、何故かわかっていない放送人がいる。
過度な管理は番組を潰す、というのはまさにそのことを言っている。
市場のメカニズムに番組をゆだねるというのは、できるだけ番組をセットフリーにすることから始まる。
自由な番組作りこそが、自由な市場経済と対応する。
スポンサーの声を聞き、リスナーの声を聞き、そして己の心の声を聞く。
それらの弁証法止揚の中から、新しい人気番組が生まれてくるのである。
その為には、なるだけ管理的なキーワードを排することが編成マンに求められる。
どんな番組を作るのも自由だ。
最低限度の品格と倫理が通奏低音のように流れていれば、どんな番組もOKである。
あれやったらダメ、これやったらダメなんて言っていたら、どこに弁証法の入る余地がある。
そんなの、どこぞのコンピューターにやらせておけばよいのだ。
制作費をかけて作る番組なら、思いきり自由な番組にしよう。
大体、金もなしで自由な番組作りなんか、絶対にできないことを知るべきだ。
自由とは、基本的にコストが高いものである。
これぐらいの普遍的な真理は、放送マンなら知っていてもらいたいものだ。


但し、金をかけたからといって自由な番組にはならないことは、必要十分条件を知る人なら誰でもわかるだろう、自由の為に金を払うということは、私達の究極的な義務ではないかと近頃痛感するようになった、、、
ラジオ日本のキラーコンテンツだった巨人戦も今は見る影もない。
巨人だからといって、無条件にスポンサードしていたクライアントも目だって減った。
ラジオも巨人も過去のビジネスモデルを見直さなければならない。
ほっておけばジリ貧。
どこも大変である。