フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

キックオフミーティング

深夜番組のキックオフミーティング、最初から居酒屋の個室を借りて半分飲み会状態。
ま、まだ中味が何も決まっていないので、とりあえずスタッフの役割分担を確認しながらの情報交換会。
来週の火曜日には、放送局の偉いさんも加わってのミーティングが決まっている。
こういう大々的な番組は久しぶり。
1日ディレクターでも入ったらと、冗談交じりに言うスタッフもいるのだが、べったりつくのは不可能でしょうということで、プロデューサーに専念させてもらうつもり。
今更、ええ年したオッサンがキュー振るのもねえ。
ニュースとか天気予報なら、読めと言われれば読みますけど・・・。
さて、その日のためにアナウンスの練習しておこ・・、アエイウエオアオ、オアオエウイエア・・・。
だいぶ、前に書いたと思うけど、私の理想は海辺の「波の数だけ抱きしめて」放送局で、地域のお知らせとかニュースとか天気予報を読みながら、のんびりDJすることなんですよね、本当に。
グァム島のようなリゾート地なら、なお良しというか。
(沖縄でもいいなあ、そんなオファーないかなあ)
私、多分コミュニティFMに採用されたら、きっと朝から晩までよく働くと思いますよ。
選曲もできるし、ディレクションもまあまあできるし、営業もできるし、情報発信も色々できるし。
何なら経理も、簡単な技術も。
2級技士を取れと言われれば、いつでも取りにいきますよ・・・。
などと書いたけど、今の業務の状態では、そんな夢は当分無理。
5年に一度訪れる、シュトルムウントドランク的喧騒の中、船出する小船という感じ。
大丈夫かな、このぼろ舟。




その船を漕いで行け おまえの手で漕いで行け
おまえが消えて喜ぶものに おまえのオールをまかせるな
(『宙船』中島みゆき

2月に入りました

寒い寒いと言っている間に、2月に入ってしまいました。
4月に向けて忙殺されております。
例の放送現場復帰の件、ついに今週木曜日にキックオフミーティングが行われます。
2月には、東京タワーで音楽関係のイベントがあるのに、具体的なことはまだまだこれから。
ついでに、今月中に東京で引越しの予定が。
大丈夫かな、と心から不安になっております。
他にもインディーズ系の音源配信事業、NHK関連の音楽制作事業、あるクライアントのセールスプロモーションのお手伝い、正直、風呂敷を広げすぎました、もう焦る焦る。
これだけやっても、会社経営は四苦八苦。
もう、笑うしかありません・・・。


最近、気になっているブログがあります。
radikoは救世主なのか、という話。」
http://freefielder.jp/blog/2011/01/radiko.html
結論は、衝撃。
「ラジオ局は、radikoに参加することによって全日平均聴取率が0.006ポイント増加することが期待できる。」だそうです。
でも、こんな慰めの言葉も。
「実数として一日40万人のリスナーが増えたので、それはそれで大きい…という考え方もあるでしょう・・」
興味のある方は一度アクセスしてみてください。
で、radikoは救世主なのか?という問いに対しては冷たくこう言われます。
radikoが地上波ラジオの救世主になるという認識は限りなく甘い考え、な気がします。」
そんなことない、と誰か言ってみてくれませんか。

適正価格(番外編)

民放連による「2011年度のテレビ、ラジオ営業収入見通し」が発表された。
http://goo.gl/8riTg
ラジオの項にはこうある。


* 2011年度は10年度から下げ幅が半減し、06年度以降では最小のマイナス幅と予測。
* スポットは持ち直し傾向にあるが、プラス基調に到るのは難しいか。
* 各社へのアンケートの集計では、FM社の2011年度は若干のプラス見込み。
* 大きな話題となり、エリア拡大も予想されるradikoNHKとのラジオ活性化に向けた協調路線、V-Low帯マルチメディア放送への参入計画などの新しい動きが営業活動に与えるプラス効果に期待。
ということで、2011年度は2.1%減の予想である。(2010年度の予測は5.0%減)
ラジオ業界、話題はradikoLISMO WAVEも加わり、そこそこ賑やかではあるが持ち直すところまでは行っていない。
引き続き、制作費のカットが4月から予想される。
売上減に合わせて投資額を減らせば、ますます売上が減るという負のスパイラル。
このスパイラルから抜けるには、従来のビジネスモデルを根本的に変えていく必要がある。
「変わらずに生き残るためには、自ら変わらなければならない」という山猫の言葉が思い出される。
タイムがいくら、スポットがいくら、多分その発想も変えた方がいいのではと最近の私は書き続けたわけだ。


さて、そんなことを考え考え書き続けた結果、皆さんからのアクセスが活発になったのを感じている。
ツイッターでも、このブログに言及していただいたり、リンクしていただいたりしている。
やはり、こういう類の話題が今のラジオに必要なのかもしれない。
ネットを検索しても、あまりこういう話が出てこないので珍しいということでもあろう。
どういう形であれ、議論が活発になるのは私としても勉強になるので大変ありがたい。
時々、古巣あたりから警告があったりするので、言葉には気をつけなければいけないが、ま、皆さんのアクセスがある限りは、このブログを続けていきたいとは思っている。
4月から、またまたラジオの現場に戻る可能性も出てきているので、さてどこまで自由にこの欄を埋めることができるかという不安もあるが。
何か正直アンビバレント、放った矢が自分に返ってくるとしたら、さてどうしようかな。

適正価格(その11)

あるラジオ局から企画書が送られてきた。
イベントの協賛社募集という内容で、イベントの内容などが書かれ、協賛いただけるとこういう環境をお使いいただけますと、そのメリットが幾つか書かれていた。
イベント自体は面白いと思ったので、価格はいくらかなと思ってみると、一式150万とある。
150万か、ちょっと高いなと思って上を見たら、ラジオスポット○○本、パブ×回というのがメニューの中に入っていた。
私はメールでこう送った。
「ラジオのスポットとパブは要らないから100万にしてくれない?」
イベントに協賛するのは吝かではないが、それを告知するラジオのスポットやパブにどれほどの値打ちがあるのだろうと思ったからだ。
ラジオ局のOBがこんなことを言うのも気が引けるが、ラジオのスポットの本数など協賛メリットに並列して書くなという気分だった。
イベントに協賛していただければ、こういうメリットがあります。
よろしければ、ラジオでもその告知をサービスでさせていただきますからご了解くださいと表記された方がまだしっくり来る。
私にとってスポットやパブの適正価格は限りなく0に近いからだ。
サービスだと言われれば納得する。
その全体の価格の中に、スポット料が含まれていたとしても。


コミュニティFMの売り方については、今までにも何度も書かせていただいているが、私としては、スポット代いくら、タイムいくらという売り方は、あまり需要を呼ばないのではないかと思っている。
むしろ、スポットやタイムを含んだメニューを作り、それら全部でいくらという方法を取ったほうが訴求力は上がるのではないかと考えるのだ。
つまり、実施すれば確実にユーザー(消費者)をつかめる独自のコア・コンテンツを置き、そのまわりにスポットやタイムを飾るというやり方だ。
何とか定食という考え方もありだ。
ついでにおビールもセットでいかがですか?という、そのビールがタイムやスポットだったりして。
要はコミュニティFM定食が作ることができるかどうか。
あ、それなら食べてもいいな、それでいくらなのという商品。
もっと具体的に言ってよという声もあるかもしれない。
とはいえ、ちょっとすぐには思いつかないので、しばらく考えさせてもらえれば何とか出てくるかも。
あまり期待しないでお待ちいただければ幸いというか何と言うか。
では、また次回ということで。

適正価格(その10)

sparkさんがお書きのように先ほど「auAndroid端末とケータイの一部機種で、全国民放52局のFMラジオ放送を、放送エリアに制限されることなく聴けるストリーミングサービス"LISMO WAVE"が26日にスタート」という発表があった。
ツイッターでも、色々と話題になっている。
5月まで無料、6月から315円とか。
本当に人気が出るようになれば、全国各局の聴取実態が数字として明らかになるだろうし、キー局とローカル局も対等の競争が始まることになるが、さて、全国のFM局はどこまで覚悟しているのやら。(各局の人気序列が毎日のように発表されるかもしれないのに。)
コミュニティFMも含めて(できればAMも)提供してもらえるようになれば面白いだろうと、第三者としては思わないでもない。
ところで、全国エリアにならない理由として強調されていた「実質的な放送エリアに沿った対象地域内での配信を前提として権利者や広告主から合意を得ているからである」(ウィキペディア)というのはどうなったのだろう、auさんが何とかしてくれたのだろうか。
少し前にKISS-FMの横山社長のツイート「放送業界には大きな波が襲いかかっています。それは放送業界が放送業界を放送業界として捉えている限り逃れることはできません。」というのもあった。
ラジオ業界、コンテンツ争いはついにサービスエリアを越え始めたというところか。


さて適正価格の続きを書く。
昨日、私はオークションという構図の話を持ち出した。
例えば、コミュニティFMがスポット単価1000円と書いて、オークションにかけたとする。
多分、それだけでは誰も買わないだろう。
中味もわからないし、それがどれだけ魅力的な商品なのかもわからない。
適正価格もへったくれもない。
で、コミュニティFM側としては、誰が見ても1000円以上の価値があると思われるようなものに自分たちが提示したものを脚色しないといけない。
脚色力というか演出力というか、まずそれがなければなかなか値をつけてもらえない。
スポットいくら、タイムいくらという値段設定だけでは多分限界があろう。
コミュニティFMの商品とは、この時間にこういう番組で、こういうクライアントの方にこういうサービスができて、聴いている人はこれだけおられて、その人達はこういう人達で、で、実際提供してもらうとこんなメリットがクライアントの方に還元できて・・・みたいな。
それを前提に、まず例えば1万円スタートで、これだけの値をつけてもらえれば即決でとなれば、ネットユーザーなども面白がるかもしれないが・・。
ま、オークションに参加してくれる人が複数いればという話。
実は、私は作る側にいるだけでなく、クライアントとして出稿する立場にもいるのだが、コミュニティFMをスポットいくらタイムいくらで購入する気持ちはほとんどない。
私が望んでいることにどれだけ応えてくれるか、例えば、私のすることに出演するDJさんが興味を示してくれて、色々手伝ったりしてくれるなら、予算の中からこれだけをコミュニティFM側に払うというのも今まであった。
とにかく、やってくださったことへの見返りとしての出稿というのは大いにありだ。
ブランドを買うのではない。
何というか、絆を買うというのだろうか。
コンテンツを買うというところまでは今のところ行かない。
この話、長くなるので、また次回。

適正価格(その9)

コミュニティFMと適正価格について、少し考えてみたい。
コミュニティFMに限らず、商業放送というのは、実際のサービス受給者に商品を売っているわけではない。
無料で集めたサービス消費者(リスナー)の購買能力を、クライアント(スポンサー)に売っているという構図である。
商品(番組等)がどれだけ素晴らしく、どれだけ優良でも、リスナーを得ることができなければクライアントを獲得することはできない。
かっての大阪のyes-fmのように、吉本のブランド価値を使って、リスナーが現実にはさほど存在しないにもかかわらず、月に数千万という売上げがあったという例があるが、当然ながらそれは長く続かなかった。
コミュニティFMで、こんなビジネスモデルがうまくいくわけがないのではという私の疑問に、吉本が作っているのだから他のコミュニティFMとは違うんだという答を返されたこともあった。
ブランド信仰というものが、本来のメディア価値を見えなくさせていたのだろう。
リスナーの数に比例して、価値は生まれる。
それが、商業放送としてのラジオの基本的ヴァリューであることを否定するものはいまい。
コミュニティFMなんか、聞く人(リスナー)いないという声もあるが、この場合の聞く人がいないというのは二つの意味がある。
一つは、コミュニティFMという狭いエリアを対象にしていたら、マス媒体として機能するだけの聴取可能者がいないという側面。
もう一つは、コミュニティFMという規模では、リスナーを呼び込めるようなコンテンツを提供できる潜在能力が弱く、期待したほど聴取層が広がらないという側面があると思う。
前者の問題は、局側の努力で聴取可能人口を増やしたりしている地域もあり、地場のクライアントとの提携がうまく行っているところは、安定した経営を実現しているところもある。
後者は、結局コンテンツの制作能力の問題につきる。
金とマンパワーが優良コンテンツを生み出すわけだから、そのどちらが欠けてもリスナーを獲得するのは難しい。
ということで、適正価格を決定させる要因のメインは、リスナーの数ということになる。
サブとして、そのリスナーの属性がある。
若い人、女性、社会的地位の高い職業、他にもいくつかあるが、要は最初に書いたサービス消費者の購買能力をクライアントが買うわけだから、こういった属性の位置づけは避けて通れない。
リスナーの購買能力が、クライアントの望む領域までに達しなければ、元々売買は成立しない。
スポット価格1000円と書いていても、その場合の適正価格は0円(マイナスの場合もあるかも)となる。
0円なら売る(買う)というよりも、売買なしである。
このあたり、オークションの構図に似ている。
明日は、そのあたりをもう少し。

ブランドとしてのラジオ(その3)

さて、大阪のFM802が売上げを落としたことに驚いて、またまたブランド論を書いてしまった。
マスコミというのは、それ自体がブランドで、その価値は大手になるほど高いのは事実。
そのために、今まで様々な努力を各メディアは重ねてきたと思うのだ。
しかし、貧すれば鈍するというか、広告費にしめる割合が落ちてくると同時に、そのブランドを毀損するような選択をメディアは取ろうとしている。
FM802も、最近の動きを見ていると、自分たちのブランドイメージを下げるような選択をしているのではないだろうか。
先日書いたブランド価値を毀損させる3つの選択のほかに、私から見て露骨すぎると思ったのは、FMcocoloの制作を引き受けたことだ。
FM802のブランド力を使えば、cocoloの再建は可能だと経営陣は踏んだのかもしれない。
しかし、結果として生まれたのは、多くのcocolo愛好家の離反だった。
何を勝手なことをやっているのだ、俺たちのcocoloを返せという声が広がったことだ。
確かにcocoloのリスナーの数はたかがしれていたのかもしれない。
だから、スポンサーはつかないし、金にもならなかったと考えたのだろう。
しかし、コアなリスナーを失うことは、再建をも危うくさせることに気づくべきではなかったか。
愛知の外国語放送が停波した時、心の中に傷を負った人は尋常の数ではなかった。
そのナイーブさに心を致さない限り、ラジオを経営する資格は得られない。
802がcocoloを引き受けるにあたって、幾つかの紆余曲折があったことは人伝で色々聞いている。
ラジオ業界の再編が不可避となりつつある現状で、とにかく今後も生き続けていくための経営選択であったことは理解できる。
しかし、そこに驕りはなかったか。
聴取率NO1という実績に頼りすぎはなかったか。
これが自分たちのブランドを毀損するのではないかという危惧はなかったのだろうか。
cocoloというブランドは、おそらく過去の制作陣を放擲した段階で確実に落ちた。
それを埋める為に802ブランドを使えば、802の本来のブランド価値もその分減少するとは考えなかったのだろうか。
ラジオ業界は、もはやかっての黙っていてもリスナーが毎年増えていく状況ではない。
そんなところでシェア争いしていても、売上げが増えていくなんて考えられない。
せめて、人々の中にブランドとして通用している間に、次のビジネスモデルを開発していってほしい。
ラジオは、まだまだそれ自体がブランドとして通用する世界もあるのだ。
コミュニティFMも又しかりなり。
そういうことで、ブランド論の繰り返しの愚は避けたいので、この項はこれぐらいで。
興味のある方は、ぜひ過去のブログをさかのぼって読んで欲しい。