フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

失敗物語・5

2006-09-03のこの欄で「コミュニティFMのイメージ」というタイトルをつけ、エフエム大分の失敗についてさらっと触れたことがあります。


その当時、私はよく1990年開局のFM大分の失敗を例に出したものである。
何をどう思ったのか、開局当時のFM大分の方は全部自社制作で経営ができると思われていたのだ。
だからJFNにも入らず、1年ほど続けていたのだが、結局ギブアップ。
放送局さえ作れば、その日からどんどん儲かるという神話は、あっという間に消え去ったのである。
もちろん、FM大分が失敗した話など、ウェブ上にはほとんど上がっていません。
ただ、FM大分の会長だった丹羽登さんが、「戦略の本質」(和田勲生著 ダイアモンド社刊)の書評でこう書いておられます。
http://www.oitamirai.co.jp/soshiki/doyou/doyou010/doyou010_feature.pdf

エフエム大分の開局は、在京キー局から番組の配信を受けず、全番組を自社制作もしくはそれに準ずるもので構成する“独立局”としてスタートしました。
戦略を練りに練って、その道を選択したのならいいのですが、当時、独立局ブームだったこともあり、その流れのなかで取り組んだわけです。
しかし、地域性や聴取者のニーズを的確に把握できていないと判断し、もう一度じっくりと協議した結果、現体制となったわけです。
考えた上で、独立路線をとったのではなく、ブームだったからそれに乗っかったのだと書いておられるようです。
独立局というブームがあるから、うちも大丈夫だろうという発想、コミュニティFMの開局時にも同様のものがよく見られました。
エフエム大分の方にとっても、県域FMとしてスタートできたことだけで一安心されたのだと思います。
後は、今一番はやっているのは、TFMの傘下に入ることではなく独立局として自分たちを差別化することだと考えて、JFNの加盟をせずに独自路線。
でも、東京での営業が思うようにいかず、制作費がリクープできないことに気づいて頭を下げてJFNに加盟。
当時、東京でその状況を間近で見た私には、とても印象深い失敗例となったのです。
1990年(平成2年)といえば、確かに東京や大阪の第二局、千葉、埼玉、京都、神戸と独立系のFM局が話題になっていましたから、独立局でも何とかなると思う気持ちはわかります。
しかし、JFNというものを少しでも知っていれば、大分というローカルでそれをやるのは無理だということは自ずとわかったはずです。
ある広告代理店の方も、それを強く主張されていました。
でも、結局聞いてもらえなかった、誰かとんでもなく間違った考え方をしているキーマンがいるみたいだと私にもため息混じりに話されていました。
歴史は繰り返す。
コミュニティFMという違った場所で、また同じような間違いが生まれてきた、それがその後の漠然とした私の感想だったということを思い出します。