フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

失敗物語・4

世の中に成功物語と言う本は多くても、失敗物語というジャンルのものは少ないようです。
「社長失格」が出版された時に、書評などで失敗物語をこれだけ赤裸々に書いた本は少ない、それゆえこの本は失敗物語の嚆矢とすべきものであると指摘されていた記憶があります。
確かに、失敗物語がベストセラーになるというのは珍しいことだったと思います。
それぐらい、失敗物語は世に出ない、何故か。
多分、失敗したものは二度とその世界に戻ってこれないという風土が日本にあるからではないでしょうか。
失敗したもの=落伍者というイメージがついてしまうのです。
世の一線から排除されるというのでしょうか。
アメリカのベンチャー界では、失敗したからといって復活する機会まで奪われるわけではありません。
しかし日本では、一度失敗したら二度とチャレンジできない(あるいはチャレンジさせない)という風潮があるような気がしてならないのです。
直線的な上昇プロセス以外は認めないといいますか、失敗したもの=直線的な道から脱落したものということで、二度と競争に参加させない暗黙のルールがあるというのでしょうか。
直線的な上昇プロセス、会社の中での出世争いなどが典型ですが、例えばその会社を一度辞めれば社内の雰囲気といいますか、特に共に出世争いをしていた層からはその後意識的に排除されるというようになるといいます。(それに近い経験は私もしております。)
それゆえ事業を展開するもの、或いは組織の中にいるものにとって失敗を認めることは自己否定にもつながりかねない、何しろ失敗者の烙印を押されたものは二度と浮かび上がれない(浮かび上がらせない)ということを覚悟するしかないからです。
で、誰も自分の失敗をポジティブに認めることをしなくなります。
失敗すれば終わり、二度とスタートラインにつけないのですから。
既に成功した者が、かっての自分の失敗を書くことはできます。
でも、その後にそれを克服して成功したという話があるから、その人が否定的に捉えられることはないのです。
NHKのドキュメンタリー「プロジェクトX」は、一種の成功物語です。
幾つかの失敗を乗り越えて、成功に結びつくストーリーです。
最後まで失敗して終わりなんて話にはなりませんし、そんな話なら作られなかったかもしれません。
でも、事業を行うもの、あるいは新しい事業に挑戦するものにとって一番重要なのは成功物語ではない、失敗物語なのです。
こうすれば失敗するというデータベースでもあれば、人はどれだけ今より成功する確率が高くなるかと思ったりするのです。
明日もこの続きを。