フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

トランジスタラジオ

昨日の朝日新聞の記事がアップされていないようなので、引用を多めにしながらラジオについて書きます。
朝日新聞文化欄のタイトルは「あのとき空間が変わった」、小見出しに「1955年トランジスタラジオ登場」「どこにいても何かとつながる感じ」とあります。
トランジスタラジオが生まれ、ラジオがポータブルになることによって人々の空間が広がった、そしてラジオを通じて若者の精神生活が豊かになっっていったということのようです。
それを考えるきっかけを作ったのは、先日亡くなられた忌野清志郎さんの「トランジスタラジオ」だったと。


授業をさぼって
日の当たる場所に いたんだよ
寝ころんでたのさ 屋上で
タバコの煙 とても青くて
内ポケットにいつも トランジスタラジオ
彼女 教科書 拡げてる時
ホットなナンバー 空に溶けてった
こんな気持ち うまく言えたことがない
Nai、ai ai…
ベイエリアから リバプールから
このアンテナがキャッチしたナンバー
彼女 教科書 拡げてる時
ホットなメッセージ 空に溶けてった


音楽を通じて、どこか違う空間とつながっている、トランジスタラジオはその媒介、文字通りメディア。
そして、村上春樹の「風の歌を聴け」(講談社文庫)からこんなフレーズを引用しています。
「ラジオを聴かなきゃ駄目さ。本を読んだって孤独になるだけさ。そうだろ?」
そしてこうも書いています。


メディア学者のマクルーハンは、かってラジオを「部族の太鼓」と呼んだ、部族の意識を一つにした古代の太鼓のように、意識化に直接働きかけ多くの人々に親密な一対一関係ををつくり出すからだ。


ラジオをきっかけに広がった若者たちの空間は、今や携帯電話、携帯ゲーム機などを通じ更に多次元的な空間へと発展しているのではないかと。
「深夜ラジオと長時間過ごしていた時、孤独な空間の中で何かとつながっている気がした」という感想は今の若者たちにも通用する感覚なのか、果たしてラジオと長時間過ごすという行為はもはや失われてしまったのか、記事を読みながらしばらく考えてしまったわけです。
ラジオは「部族の太鼓」である、というのも示唆的ではないでしょうか。
明日もそういう話を。