フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

断片の続き

コメント、ありがとうございました。
「このブログにもラジオのように接しています」というフレーズが心に響きました。
無理して毎日書かなくてもいいとのことでしたが、やはりラジオは毎日続けてこそ意味があるのだということを再認識させてもらいました。
確かに、いきなり放送が流れなくなるのは寂しいことですね。
ラジオって、今ある状態がスタンダードだと頭は理解しているような気がします。
このあたりの周波数にはこの放送、少し動かすとこの放送、そしてFMに切り替えると、あんな局、こんな局。
一度イメージができると、頭の方が変化を受付けなくなるような。
だから、自分が慣れ親しんでいた番組が終わると、しばらく無の状態になったりします。
7月から改編した大阪のabc朝日放送、私の知人は「あの改編は大失敗ではないか」と先日ため息混じりに言っていました。
どうして妹尾和夫さんを外したのか、さっぱりわからないとも。
次の聴取率調査、ちょっと厳しい結果が出るかもしれませんね。


ところで、昨日は少しいつもと違う書き込みをしました。
深刻な何かがあったのかと心配をおかけしたかもしれませんが、別に何かが起こったわけでもありません。
多分、私の本質的な部分って、プロデューサー的なものよりディレクター的なものの方が自分に近いのではないかとどこかで思っております。
理性よりも感性の方が、自分的には優位なのに、現実にはそれが許されないからプロデューサー的な部分を深化させたのかなあ、と。
本当は、勝手な奴なんですよ、私って。
さて、そういう感性的ラジオ論を書いた次の日の朝日新聞の文化欄に「あのとき空間が変わった」というトランジスタラジオ論が特集されていました。
言いたいことのカテゴリーが偶然にも同じというか、書いた私も少し驚いてしまいました。
ネットには今のところ上がっていないようなので、その骨子などを明日書くつもりです。
ということで暑いですが、皆様お元気で。