フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

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私のブログを参考にしていただいているというコメントをいただくと、本当に身がひきしまる思いがします。
まだ左手が少々不便で、タイピングに失敗ばかりしていますが、頑張ってラジオ論のようなものを書き続けたいと思っておりますので、今後ともよろしくお願いします。


ラジオというのは、多分送り手側と受け手側の言葉による情報の共有、イメージの共有が重要なのだと思います。
今でこそ、ラジオ局(送り手側)の情報やイメージをリスナー(受け手側)が手に入れるのは難しくなくなりましたが、少し前までは大変でした。
ラジオは、ラジオ受信機という箱の中にあったという印象で、その中で行われている実体的なイメージは乏しかったというのが実感でした。
古い話になりますが、ベルリンオリンピックで前畑ガンバレ!と叫んだ実況アナウンサー、フェージングという聞き取りにくい環境でも、人は言葉を理解し、そこで行われていることを理解し、そして絶叫するアナウンサーと心が共鳴しあっていたことは間違いありません。
私の思い出の中にも、1968年のメキシコ五輪でサッカーが銅メダルを獲得した時の実況をラジオからじっと聞いていたというのがあります。
ウイングの杉山が突っ込んで右からセンタリング、それをセンターフォワードの釜本が狙いすましてシュート!
その時の映像は一度も見てはおりませんが、記憶の中には完全なイメージとして実体化しております。
ま、そんなセンセーションな場ばかりではありません。
一度も見たことがないスタジオの中の風景、多分こんな感じなのだろうと思ったイメージが今もその番組を象徴しているのです。
例えば、子供の頃好きだったOBCラジオ大阪の「題名のない番組」。
出演は、桂米朝小松左京・菊池美智子(OBCアナ、後に中西アナに交代したはず)の3人で1964〜69年放送。
番組には、何の仕掛けもない。
ただ、3人がリスナーから送られてくるハガキを読むだけ。
この番組の肝は、ハガキの内容の秀逸さ、面白さを、3人の粋人が的確に受け止め、それをリスナーに面白い感想とともに送り届けるというところ。
ただ、リスナーはその番組がどんな風に進行しているのか目で見ることはできない。
にもかかわらず、私も含めてリスナーは、的確にイメージを頭に描き、その空間を頭の中に構成していました。
いい番組というのは、この空間を頭の中に構成する力を持った番組ということではないかと私は思うのです。


などと書きながら試しにネットの中で検索をかけると、こんなとんでもないサイトを見つけました。
http://www.ne.jp/asahi/matsu/kiku/
本当に、ネットの中には色々なものが存在するのですね。
長くなるので、この続きは又明日に。