フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

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かって小林克也さんはこう言っていた。
「ラジオはテレビよりすごい。例えばゴジラが出てきたとしても、テレビだと画面の大きさ以上にはなれない。ラジオは目に見えない分だけ、いくらでも大きく表現できる。それがラジオの特性だし、制作者側はそれを利用しない手はない。」
克也さんには、ラジオに関して色々なことを教わったが、ラジオマンは音だけで様々なイメージを作ることができるということを自覚すべきだというのは、今も参考になっている。
ただ、今のラジオマンがそれを自覚しているかどうかは大変怪しい。
こういうイメージをリスナーに与えようと思えば、こういう言葉をこういうふうに使えばいいという技術が正しく継承されてはいないような気がする。
少し前に、某局の編成局長と話したとき、ラジオなんかシンプルなメディアなのだから技術的な専門性なんかいらないと言われ、ちょっと愕然とした記憶がある。
シンプルな形に見えるようにするのは重要だが、そのために作り手側がシンプルな考えでいいということにはならない。
シンプルというのは、幾つかの複雑(コンプリケイテッド)な過程を経て始めて得られるものだと私は思っている。
いわゆるショートカットということができるのは、試行錯誤の結果であることは言を待たない。
ラジオの世界でショートカットを教えるのはかまわないが、それは何故なのかのトレースは最低限しておかないといけない。
編成局長が、技術的な専門性を否定してしまっては、方法論的進化が止まってしまうではないか。
よりよいものを求めるのは、人間なら当たり前。
しかし、よりよいものは一朝一夕に得られるものではない。
ラジオなんか簡単、誰でもできるで皆が納得してしまえば、ラジオはそれで終わりだ。
ラジオに未来はない、なんて簡単に言い切るものは、ラジオの本質を本当はわかっていない。
進化を否定するものに、未来を語る資格はない。
ラジオはもう終わりだというのなら、さっさとラジオの世界から出て行けばいいのだ。
私にとってラジオはまだまだ可能性を秘めている。
どう進化するなんか、途中にいるものにわかるはずもない。
などと、ちょっと思ってしまった次第だが、私の意志は伝わっただろうか。


小林克也さんについては「2007-11-11 ハスキー・2」でも少し書いているので、興味のある方はどうぞ。
http://d.hatena.ne.jp/from3/20071111