フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

著作権・2

著作権の話は、今までにも何回か書いてきましたが、私どもが何か新しいことをやろうとするといつも壁のように立ちはだかるのが著作権なのです。
ご指摘のように、ラジオで小説などを朗読しようとすれば、必ず著作権者に許可を求めないといけません。
ちょっとした引用なら許可は要らないのですが、それが引用なのかちゃんとした朗読なのかの区別も頭のどこかでしていないといけません。
音楽関係の著作権も、昔はもう少しシンプルだったのですが、デジタル化されたりインターネットが普及したりして、新しい権利が発生したりしています。
しかもかってのように著作者がそのまま権利を持つのではなく、細分化されて様々な個人や団体が権利を取得するようになっています。
もはや、著作者がOKならすべてOKという時代ではなくなっています。
よくアーチストが自分の曲を歌う時にもJASRACに金を払わないといけないのはおかしいとぼやいたりしています。
昨日私は、著作権の現状は消費者感覚とずれていると書きました。
人が苦労して作ったものを、金も払わずに持っていくのか。
そんなことが許されるはずはないだろうと著作権法の精神を語る方も多いですが、じゃあその著作物の法的価値っていくらなのかと問い返したくなります。
例えば、何故1曲使ったら10円なのでしょう。
アルバムを買ったら、それが何故2000円なのか、何故再販制度でその価格が守られているのか。
1曲1円ならまだ払ってもいいという人もいると思います。
著作権の価値を決めるのは誰ですか?著作者とその人を囲む権利者集団でしょうか。
ただで使おうというのではないのです、何故その額を払わないといけないのかなのです。
しかも、その制度を守るために存在するJASRACが巨大な利権集団になっているという指摘もされています。
過度な金の集積が音楽の利用の仕方を制限しているといえなくはないでしょうか。
それほど利権化されていなかった時代、著作物は今よりもっと簡単に利用できていました。
個人で楽しむだけならかまわない、営利を目的にしなければかまわない、かっては著作権をそういう緩やかな基準で運用してきました。
今や、それが利権化されることにより、個人で楽しむからといって著作物を自由に使えるなんて思ったら大間違いだと権利者は言い始めています。
消費者との意識の乖離というか、ずれというか、公正取引委員会によってその運用を問題視されても、一向に変えようとしないのも、結局膨大な利権をそう簡単に他者に渡さない、消費者の利益なんか知ったことかという奢りなのではないかと思う次第です。
とはいえ、私も著作権者の一人ですから、あまり声高にこう言うのもちょっとはばかられたりするんですけどね。