フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

営業にまつわる話・3

昭和62年(1987年)に出版された「ザ・業界」(エム・アイ・エー刊)というマスコミ業界を特集した本を読んでいます。
今から22年前のマスコミ業界のことを書いているのですが、その中味が今とほとんど変わっていないのが大変興味深いですね。
テレビ離れってのはテレビがすごく大きなメディアであることを前提とした発想でしょ。今じゃテレビ離れなんて話題になるほどのものじゃないよ。(中略)テレビの広告効果ということが問題にされ始めているみたいね。/テレビ局の広告収入にかげりが見えてきたっていうね。/でも、それは円高不況による企業側の広告費の頭打ちによるもので、テレビというメディア自体の問題ではないって気もするけど。」
すごいですね、22年前からテレビ離れが始まっているそうですよ。
広告費も頭打ち、広告収入にもかげりが・・て、何だか今と同じじゃないかと言いたくなりますね。
実際には、この後、バブルがあって、広告業界は空前の活況を示すんですが、人の気分とは所詮これぐらいのものなんだと思いますよ。
大体、こういう本は、悲観論をベースにして書くのが定石なのかもしれません。
もうだめだ、もうだめだと言っておけば、敵は油断するはずといいますか、外の人からバッシングされないといいますか。
天下りだ、渡りだと、上級公務員がえらくバッシングされていますが、あれは誤解を恐れずに言えば「生け贄」みたいなもの。
今の否定的な状況を作ったのは誰か、そう、あいつらだ!というわけです。
早い話、いじめの構造と同じ。
次に誰をいじめるか、そいつをいじめている間は、矛盾が見えにくくなるのだと思います。
勿論、公務員は優遇されすぎだと私も思いますよ。
それを自覚していない公務員に対して、ちょっとは自分達の立場を弁えろよと言いたくなるのは事実です。
でもね、それはバッシングするような性格のものではありません。
世の中、そんなに公平にできているわけではないので、ある時優遇されている人は、一生通じて優遇されると決まっているわけではありません。
だから、今優遇されている人は、必死になって自分の立場を守ろうとするわけです。
一度、優遇されたものは、次の冷遇には耐えられないという不安がつきまとうのです。
今、冷遇されていると感じるものは、優遇されているものを谷底に突き落としても何とも思いません。
優遇されていたものが自殺でもしたら、快哉を叫びかねない、「ざまあみろ、あの時××するからだ・・」なんてことも言いかねません。
いじめの構造、私はそこかしこにその残像を見出しています。
うつ病になる人が増えているとTVでも再三放送されます。
私の勝手な意見ですが、その原点は「優遇されていたものが、冷遇される恐怖」なのではないかと思うのです。
冷遇されつづけたものが、うつ病にかかる率は低い、貧しいものはうつ病にかかる余裕すらないような気がするからです。
私の感覚は間違っているかもしれません。
言い過ぎ、勝手な思い込みにすぎないと怒られるかもしれませんが、あえて自分の意見を書かせてもらいました。
営業の話からそれてしまいましたが、皆さんのご意見など又お待ちしております。
明日は、営業の話の続きをちゃんと書く予定です。