フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

書を捨てよ、町へ出よう

かって寺山修司アンドレ・ジイドの「地の糧」から引用したセリフ、それが「書を捨てよ、町へ出よう」だった。
目覚めよ、若者達、今にとどまっていてはダメだというメッセージとして私は受け止めた。
「理論なき行動は死、行動なき理論は無」というスローガンも私の心に刺さった。
書に親しむのは大事だが、それが目的化してしまえば意味がない、俗論になってしまうがそう解釈してもいいような気がする。
書をインターネットと置き換えてみてもいいかもしれない。
ネットを操るのは重要だが、ネットの中にいることを目的化してしまえば、創造は生まれない・・・かな?
ネットの中に情報を求める前に、まず社会にコミットしないといけない。
社会にコミットすることは、人を受けとめることでもある。
矛盾と欲を一杯かかえた人間と利益を共有するのは、知識と経験がものを言う。
簡単にWIN−WINの関係をどうやって作り出すかなどと言われるが、書やテレビやネットの知識だけではそれは無理。
矛盾と欲をかかえる人間への深い洞察がなければ、そして寛容と共存の気持がなければ、ある意味不毛の人生になりかねない。
放送の世界も同じ。
ネットの情報を加工して、台本に移し変えているだけでは創造は生まれない。
情報を得たなら、それを確認する行為が不可欠だ。
確認する行為とは、人と接する行為でもある。
「私はこう思います。多分、こうだと思います。私が推測しますに・・。」
その前に確認しろ、意見なんか一番後でいい。
君の推測で、他人の貴重な時間を占有するな。


かっての偉人の言葉に謙虚に耳を傾けることが、今まで以上に必要になっている。
その情報を求めて、ネットの中をさまよい、そして出てこれなくなったとしたら、どんなに偉大な言葉も無である、とまた最初の話に戻ってしまった。
最近、精神的にイライラしている。
ラジオの可能性を求めようとして、一番の障害はラジオ局にいる人間達であることに気づく(ある時は私もその一人であったりする)、多分私はそんな考えに陥ってループしてしまう自分自身に苛立っているのかもしれない。