フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

抵抗なき現場

私のような立場の人間がこんなことを言うと自己矛盾に陥るかもしれないが、放送現場にいるものは権力に対抗する姿勢というものを多少は持っていて欲しいと思うのだ。
謂れ無き命令に唯々諾々と従うのは、放送現場にあるものとしては考えないといけない。
それが理不尽であれば、何らかの抵抗は示すべきであり、その抵抗が場に活気を与えるということもあるだろう。
反抗したら、外されるかもしれない、職場を奪われるかもしれないという不安があることはわかる。
しかも、そんなことでもしたら、周囲は単なるパフォーマンスとしてしか見ないかもしれないし、連帯して権力と戦おうなどという仲間は出てこないかもしれない。
確かに普段から現場での信頼感を得ていなければ、そんな権力側の仕打ちにおびえることもあるだろう。
やはり日頃の仕事の内容が問われることであり、その人が抵抗するのも理解できるという世論を日々作っておかないといけないのも事実だ。
そして、最終的にはそんな権力からの不当な圧力に排除されることになったとしても、それを恬然として受ける覚悟もまた必要になってくる。
これが、早い話放送現場にいるものの矜持というものではないだろうか。
言われたとおりにやるのが仕事だと考えれば進歩はなくなる。
ただ安定することばかりを考えていれば、いつかは滅びる、それは進化論的に考えてもわかることではないだろうか。
今ではあまり言われなくなったが、「造反有理」というのは一面的に真実だと私は思っている。
クリエイティブであらんとすれば、権力に抵抗する気持ちを持つべきだ。
それが私が、30年間あまりで得た放送人としての一つの結論なのだ。
プロデューサーの私に、「これでいいでしょうか。」とおそるおそるお伺いを立てるディレクターを私はあまり好きになれない。
そんなのディレクターの権限だろ、好きにしろよと荒っぽく答えてしまう。
私の言うとおりにするのなら、自分でやる。
私と違うやり方を模索すると思うから、私はあんたにやってもらっているんだというのが本音だ。
プロデューサーは間違っている、私は自分のやり方でやらせてもらいます、ぐらいの気概を持って番組を作ってほしいのだ。
権力におもねる放送マンなど私は望まない。
ポピュリズムにずぶずぶにはまっている放送マンも又望まない。
放送の危機、ラジオの危機が叫ばれている時、一番必要なのは、過去をレジストすることではないか。
そんな気持ち、もっと前面に出して仕事ができないのかと、思ってしまう私はやっぱり古い人間でござんしょうかね。