フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

できないことが見えてくる日

ディレクターとして仕事を始めた頃は、すべてが初体験の日々。
何をどうやればどうなるのかもわからないし、人との付き合い方も分からない。
先輩が信じられないほど物事を知っていて、本当に自分もあんな風になれるのかと不安になったりしたものです。
このあたりは、どの世界でも同じことでしょう。
それから、2〜3年もすると、大体のことが見えてきます。
その頃には、そこそこのスキルも身につきますし、感覚として身体の中に蓄積されていくものが増えます。
いわゆる「できることが増えていく」時期です。
そうなると、とても楽しい。
前にはできないと思っていたことも、自分の創意工夫で何とかなるものだということがわかってきます。
それができるかできないかは、結局おのれの能力と関係しているのだと思うようになり、そこから自分へのプライドも生まれてきたりします。
ちょっと自分が他人よりも能力が上だということがわかると、それをこれ見よがしに顕示するなんてこともあるでしょう。
ま、このあたりを「天狗になる」などという言葉で表現したりしているようです。
ところで、先日、宮子あずささんの「看護婦が見つめた人間が死ぬということ〜新装改訂版」(海竜社刊)というのを読んだ時に次のようなことが書いてありました。


「知識や技術があっても、どうにもしてあげられないことが山のようにある、そんな現実がわかってきたのです。自信満々だったあの数年は、できることが増えて、できないことがまだ見えてこない時期にすぎなかった。その時期が終れば今度は、経験年数だけは増えていくのに、何もできない自分を嘆き無力感に駆られる日々が待っているのです。」


シチュエーションは違いますが、ディレクターにも同じようなことが起きます。
番組を作って、そこそこ話題になり評価されだした頃は、「できることが増えていた時期」でした。
今はできないが、そのうちどんな番組でも作れるはずだという自信が生まれ、それがプライドともなっていきました。
でも、多分それは間違いなのだと思います。
できることが増えていると考えているようではだめなのです。
できないことが見えてきていないだけだと考えるべきなのです。
つまり、できることが増えれば増えるほど、「できないことも増えていく」のです。
それに気づかないようでは、何も見えてないと指摘されても仕方がないのではないかと思うのです。
できることは過去、できないことは私の未来でもあるのだ、今の私はそう考えるようになっています。
明日も、この続きを書いてみるつもりです。