フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

若者とラジオ・11

「若者に支持されるラジオ、それは真摯に若者と向き合うことを忘れない制作者たちによってのみ実現される。」と昨日書いた。
若者は日々行動規範を求めている。
その行動規範を求める相手を準拠集団(reference group)と呼ぶ。
ラジオは、ある時には準拠集団として機能していたのではないかと私は思う。
それが反乱と言う行動であれ、それをラジオが支えるということもあったのだ。
しかし、もはや今のラジオは若者の反乱行動を保証する機能は失われた。
「ルールを守ろう、それが若者のとるべき行動だ。
牧場で飼われる羊になれ。」とでも言うのだろう。
学校教育も、マスメディアも、若者にルールだけを語りかける。
若者はルールなど、押し付けであり、無条件に守りたいとは思わない。
年金未払いの大部分が若者だと言われている。
わけもなく金を払うなど、お断りというのだろう。
若者は選挙に行かない。
行ったところで、投票する相手がいない。
投票したところで、世の中が変わるわけではないと思っているのだろう。
それをいいことに、大人たちは自分達の利害を選挙に持ち込み、若者を都合のいい存在に仕立て上げる。
「ルールを守ろう、それが若者のとるべき行動だ。」
そんな集団に対してreferしたいなどと本当に若者が思うものだろうか。
ラジオは、深夜放送のゲリラ性を失うとともに、若者のリスナーを失った。
今は、ただエンタテイメントがあるばかり。
それなら、テレビに負ける、ゲームに負ける。
インターネットにはゲリラ性は十分ある。
ルールを守れといっても、押しつけたりはしない。
だが、インターネットには権威がない。
ネットは集団知を生むが、神的な権威は生まない。
ラジオは、言うならばカリスマ的な魅力を持った教師でもあったのだ。
学校で、生徒に人気のある先生、その人には権威もあれば愛情もあり、行動規範もあった。
今は、それも国の政策によって駆逐されはじめているような気もする。
ルールを守る若者を作れ、そのゲリラ性を助長するようなことはするな。
学校もマスメディアも、若者を正しく見据えてはいない。
ラジオが若者に相手にされないとするなら、それは牙を抜かれた家畜に成り下がったからかもしれない。