フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

若者とラジオ・10

若者が聞くラジオ、その一つのキーワードが「音楽」みたいなことを昨日言った。
曲をかけるなら、若者のニーズに合わせて選曲すべき、送り手側の思惑で音楽をかけるのは要注意だという気もする。
若者は、大人の本音を見透かしている。
何故、今この曲がかかるのか、何故このアーチストがテレビに出まくるのか、それは金を儲けようという大人たちの打算の結果だ。
確かに、放送局側にその原因はある。
作り手側が音楽に対してピュアではない、若者に対して真摯に対応しているようには見えない。
アーチストもパーソナリティもタレントも、みんな商売で若者に向かっている。
どうしても、打算が見える。
違和感を本人たちも感じているかもしれない。
本当は、こんな方法論をとりたくない、これでは私のメッセージは若者に届かないのでは、と。
かって、尾崎豊というアーチストがいた。
彼は、社会に対してプロテストし、若者たちの支持を得た。
しかし、その支持が彼を追い詰めることになる。
音楽業界がそれを金に換え、彼自体の思想を商品化したからだ。
社会へのプロテストまでが商品となり、金と交換で流通する。
そこに崇高な精神が宿っていても、それを商うものたちは欲得ずくの大人たちだ。
ラジオの世界も同じようなことが起きていた。
若者たちの支持を得たものは、いつかそれをステップにして業界から「人気者」というレッテルを貼られた商品になっていく。
若者がラジオに求めたものはそれではない、だがラジオは自分たちの利益を最優先し、いつか若者たちの心を見失ってしまった。
こんな青臭いラジオ論は、もはや番組の制作現場では聞かれない。
働くものは、日々に番組を作ることで疲弊し、若者と時間を共有する術を忘れていく。
できるのは、自分の経験則を使える世代を相手にすることのみ。
ラジオはかったるい、そりゃそうだろう、若者のニーズをつかみきれず、若者をターゲットにした業界が望むことをただなぞっているだけだから。
若者に支持されるラジオ、それは真摯に若者と向き合うことを忘れない制作者たちによってのみ実現される。
ステレオタイプに番組を作るだけの制作者には、とてもできない芸当であることは確かだろう。