フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

若者とラジオ・2

私が高校生だったころ、学友がすべてラジオを聞いていたという記憶はない。
ラジオはイノベーターのツールだったとでも言おうか。
例えば、ビートルズの知識など、持っていても学校では評価されない。
部活動でも、音楽はPPMどまり。
エレキギターなど、反社会的イメージだった。
ラジオには、反社会的なものを許容する何かがあった。
サブカルチャーには、どこか反社会的なものを内包されている、そんな気がする。
ラジオからは、毎日、学校では評価に値しないとレッテルを貼られた情報が流れていた。
そんなものを知っていても、受験には役立たない。
受験は避けて通れない試練ではあった。
その試練に耐えながら、それでも私はラジオを聞くのをやめなかった。
その気持ちが次世代のイノベーションを起こすのだ、もちろんその時はそんな自覚はなかったが、今ではよく理解できることだ。
後に成功したアーチストたちは、ほとんどがラジオに魅せられたと異口同音に言った。
一人一人は孤立していたが、行動パターンは良く似ていた。
いわゆるシンクロニシティ共時性)ということかもしれない。
深夜放送は確かに時代を変えた。
解放区という言葉が使われ、既存の文化(大人の文化)への反抗がそこでは謳われた。
だから、若者にとってラジオは自分自身であり、「俺たちのもの」だった。
今では、これらはノスタルジーである。
今のラジオには、世間話しかない。
大人たちの、だからどうしたとしかいえない、ふやけた会話しかない。
若者をつかもうとするラジオ局のとる手段のひとつに、ヒットチャートの音楽をかけるというのがある。。
それは、すでに評価が固まった音楽をかけることであり、イノベーションの要素はほとんどない。
何がヒットするか予測できない、ポピュラー音楽と違って、J-POPはあまりにも類型的すぎる。
前者は、どこかアナーキーであり、後者は予定調和の世界だ。
ポップスがあふれていたころのラジオは怪しい存在であり、邦楽がフレームアップされて流されるラジオは官許のメディアである。
イノベーションを内包しないメディアは衰退するだけではないか、と今の私は思っている。
こんなおとなしいラジオには、未来はない、そんな気がして仕方がない。
今日は、まとまらないうちに思い付きを書き連ねてみた。
明日もこのテーマを続けたい。