フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

コミュニティFMはどうなる・6

若者はラジオを聴かない、そんな声をよく耳にします。
私の世代が若者だった時は、ラジオの存在価値は今と相当違う、それは確かなようです。
かってラジオは若者が知りたい情報の宝庫だったと思います。
若者は、とにかく情報に飢えています。
何しろ、自分にはほとんど体験がありません。
しかも体力はありあまっているし、脳の記憶容量もスカスカなぐらい空いています。
使い始めのコンピュータで感じる、あっという間に処理するそのスピード。
それと同じで、若者とは、自分には何もないが、スピードだけはある存在といえるかもしれません。
その若者が知りたいと思うスピードについていけたのが、ラジオだったと考えればいいのです。
深夜放送は、特にそうでした。
音楽、異性、性知識、アナーキー、ただラジオを受動的に聴いているだけで欲しかった情報が流れ込むとでもいいましょうか。
私は典型的なビートルズ世代ですが、その後のツェッペリン世代、パンク世代、T-REX世代、イーグルスなどのウェストコースト世代と、ラジオはその時の旬なサウンドを若者に送り続けていました。
若者の激しい飢えに対応するラジオ、それが深夜放送であったりしたわけですが、それ以上のメディアが生まれた時、若者のスピードに対応できることによって得られたアドバンテージがラジオから失われ始めたのだと思います。
音楽をラジオから得る必要はない、共感できるパーソナリティをラジオだけに求める必要はない、第一ここに自分の欲求にストレートに対応できるコンテンツはない。
ラジオの場を最初に奪ったのはテレビでした。
それまで家族という集団の共有物であり、個人個人のニーズには合わせていなかったテレビが、ラジオのユーザーを奪い始めます。
テレビのパーソナル化は、ラジオの前から若者を去らせました。
若者にとって、ワン&オンリーなメディアはラジオではなくなったということです。
その後、さまざまなメディアが生まれ、今はインターネットがその場にどっかりといます。
若者をターゲットとするクライアントは、もはやラジオが若者に消費行動を起こさせるとはあまり思わなくなっています。
手っ取り早いのはインターネットだ、ラジオではない。
もちろん、これはひとつのイメージです。
ラジオが全くかっての役割を失ったわけではありません。
インターネットは能動的なメディアであり、ラジオは受動的なメディアだということは先日書きました。
どちらがイージーなメディアかというと、今もラジオはインターネットよりイージーな存在です。
まず、そこにもう一度スポットを当ててみる、ラジオ業界に必要なことはまずそれを認識することではないでしょうか。
若者はラジオを聴かない、ですませていてはいけません。
身体にビンビン響く情報がほしい、しかもよりイージーに。
若者の欲求の質は、昔とほとんど変わらない、それを忘れないようにしたいものです。