フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

再び橋本治

橋本治さんの「貧乏は正しい!」(小学館刊)シリーズのことを2008-05-11で取り上げたが、今は「ぼくたちの近代史」(主婦の友社刊)に色々と学ばせてもらっている。
その中に「頂点に立つ人だけが、初めて個人で判断できる。頂点に立たない人間は、やっぱり組織という限界の中で自分の役割って言うのを考えるから、あんまり個人がやれない」というのがある。
個人の考え方を自由に披瀝できるのは、組織の中で頂点に立つか、組織というかその利害集団から独立しているものだけということかもしれない。
船場吉兆の見るも無残な不祥事というのがあったが、結局真実に近いものを個人の判断で言えるのはあの女将さんしかいなかったわけで、それ以外の人は自分の役割をそれぞれピエロのように果たしていただけだった。
関係ないものは相変わらず無責任に、何故最初の段階ですべて膿みを出さなかったのだと宣う。
一度関係者になってみろ、そんなことが言えるものか、言えないものか。
ま、それはよいとして、コミュニティFMに対する私の立ち位置は奈辺にあるかを考えてみた。
少なくとも、私の発言は個人の立場から出されている。
コミュニティFM関係者を知らないわけではないが、利害集団の一員ではない。
関係者は私に対してまあまあ好意的な態度で接していただいている。
参考になります、ああいう視点で考えたことがなかったのでとても新鮮ですと、いただいたメールに書かれていたりする。
とはいえ、私が全く部外者だとは、ほとんどの人は思っていない。
だから、コミュニティFMの問題点を指摘するにしても、むやみやたらな批判はセーブされるだろうと期待されているような気がする。
私にしても、今のコミュニティFMを頭から批判したところで何の得にもならない。
おまえのやり方は間違っている、俺がやってやるから代われ、なんて気持はさらさらない。
厳しい批判をされる人がいるが、多分その人は「俺にやらせたら、少なくとも今よりうまく行く。だから俺に代われ、俺がやってやる」と思えばこそではないだろうか。
前に取り上げた橋本治さんのセリフ。


なんで私はそんなことをするのか?
それは「世の中にはこんなにもいろんな矛盾がある」ということを諸君らに教えて、「きみらでそれを何とかしてくれたまえ」と言うためだ。
ということで、私は皆さんの代わりにコミュニティFMを何とかしようという気持は多分持っていないのだと思う。
全く関係ない立場ではないが、利害には絡みたくないというスタンス、それを維持できるのも、結局私がどこまでも個人的にしかコミュニティFMの問題にコミットしていないからということなんだろう。