フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

思考

インターネットの話の続きを書こうと思ったが、どうも思考がまとまらないので、ついでにその思考そのものについて書いてみることにした。
一体コミュニケーションとは何かを考えている。
日本語で言えば、意思疎通だろうか。
自分の考えていること、感じたことを相手に伝える、それは自分にとってとても大事なことで、それを相手がどう評価してくれるか。
評価してくれれば嬉しいし、それによって次のステージに行けるような気がする。
もちろん、一人二人の好評価だけでステージが上がることはないだろうが、反応に対して嬉しいという気持とステージが上がったことの嬉しさとがミックスすれば、なおドーパミンが溢れ出すというか。
思考するのは、きっとその結果を期待するのだろう。
結果がよければ、その思考は強化され、逆の場合は、その思考自体を持った自分というものへの批判が生まれたりする。
ここにナルシシズムが介在すると自虐的な道へ逃げ込んでしまうのかもしれない。
思考する我がいて、その我を認められようと表現という形でそれを客体化する。
たぶん、このブログもそうなのだろう。
そのプロセスがコミュニケーション?
ま、そんなことはどうでもいいか。
自分の思考に対して、自信があるかという問いには、多少はありますねと答えそうだ。
思考が思考の世界でループするということは最近はない。
常に現実(あるいは客体)とコミュニケーションを取っている間は、ループすることはない。
多分、外に対して広がっているからで、ゲートを頑なにしておくことも少なくなった。
そう簡単には思考を破壊されることはないという自信があるからだろう。
自分が正しいと言っているのではない。
思考のプロセスは間違っていないという自信だ。
その思考を成立させる情報が間違っていたら、結果として生まれるものは間違った意見である。
間違うから、それを修正する機会が生まれ、思考自体が強化されるともいえる。
正しい情報を求めるモーチベーションも上がるというものだ。
それゆえ、この欄でいつも私が求めているのは、皆さんからの生の情報である。
もちろん、情報をうのみにもしないし、単純にデータベース化もしない。
すべては、また私の思考に取り込まれ、その一部は客体となって表現される。
ま、このあたりが私のブログ感を形作っているとでも思っていただければ幸いである。


というか、今日の書き込みに違和感を感じる方は、どうぞ読み飛ばしてください。