フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

Nothing to declare

GWに南の島へ行く話で思い出した。
海外に行くと、入国手続きの時に聞かれる言葉に「Anything to declare?」というのがある。
申告する物ありませんか?と聞いているわけだが、これには普通「Nothing to declare.」と答える。
関税がかかるようなものは持ち込んでいませんと宣言しているわけだ。
declareというのは、宣言するとか布告するとかいう意味がある。
きっぱりと発言するというイメージだろうか。
何を言いたい?
私は、コミュニティFMの一つ一つに対して、「Anything to declare?」と聞きたい心境なのだ。
自分達はこうだ、これからこうするのだというきっぱりとした自己主張である。
「I(or We) declare〜」と答えてほしいのだが、往々にして「Nothing to declare」という答が返ってきそうだ。
「いえ、別に何もありません。(わざわざ声を上げて言うほどのものはありません。)」
日本には言霊信仰がまだ通奏低音のように存在していて、不自然に「言上げ」するようなことは慎むようにしつけられている。
個人的な夢を語る人は多いが、組織の中で私たちはこういうことを実現します、こういうコミュニティFMにします、きっぱりと宣言しますと言う人は少ない。
そうしたいけど、えらそうなことは言えないというのが本音かもしれない。
宣言すればその時から責任が生じる。
できなければ、能力もないのにホラ吹きやがってと嘲笑されかねない。
私は、それが良いか悪いかをあまり考えもせず、私はこうすると宣言するようにしている。
関係する人に自分の立場を明示するというか、とにかく私はこうするために今ここにいるのですと主張するのだ。
自分を主張できなくなったら、潔くその場から離れる、ずるずるとその場にとどまるというのはあまり好きではない。
コミュニティFMがもっとやったらいいのにと思うのが、この自己主張、自己宣言だ。
我々は、こういう理由のために今ここに存在する。
そして、我々はこういう目標を掲げ、組織一丸となってそれを達成する云々。
こんな放送やっていていいのだろうか、惰性で仕事をしていていいのだろうかという自省もまた必要になってくるだろう。
そのためには、Nothing to declareで済ませていてはいけない、そう言っておけば何も問題は起こらないで済ませてはいけない。
ま、それが正しいかどうかはさておき、GWを控えてちょっと思ってみた次第。