フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

ラジオに求めるもの・2

ラジオに求めるもの、作る側になるまでは、「娯楽・音楽・情報」だったと思います。
深夜放送となると、「コミュニケーション」なのかもしれません。
若者にとって、すべてが社会を学習する場だったのですから。
作る側になって、ラジオは自己表現の場になりました。
コミュニティFMを作りたい、自分でも番組をやりたいという方々の思いは、結局この「自己表現の場」を求めておられるのだと思います。
それも、「ラジオという形式の自己表現の場」です。
ただ、実際にやってみると「自己表現」は実現できても、それに対する反応が得られないという悩みが生まれます。
これは、ブログなどを見てもおわかりではないでしょうか。
ほとんどのブログは長く続きません。
自己表現の場をブログに求められたのだろうと思いますが、多分、思ったほど反応が得られない、つまり自分の努力に対する見返りが予期していたものより以下だったということでしょう。
この法則みたいなものは、ブログでもコミュニティFMでも同じなのです。
努力や支払った金額に見合う反応が得られない時、人は意欲を失うのです。
私は、このブログをはじめてから、まもなく丸4年です。
その前から別のブログ(当時はそんな言い方はなかったですが)をやっていますから7年近く毎日更新を続けています。
やり始めた頃はサイトに来られる方はほんの数人でした。
ただ、私はサイトに来られる方に依拠しようと少しも思いませんでした。
日々考え、日々まとめる、それがブログを書くという作業に集約させていたのだと思います。
日々のイデーを書き留める、それがブログという場だったのです。
それを読んでいる方がどう思うと、気にしないというのがスタンスでした。
それを繰り返し、またその場を「はてなダイアリー」に移してもやっていることは同じです。
いつのまにか、思いもよらないほどの数の方から読んでいただけるようになりました。
確かに時間はかかります。
ラジオは漢方薬だという表現がありますが、コミュニティFMはもっと効かない薬草かもしれませんし、ブログは単なる雑草といえばいいのでしょうか。
それでも、長い月日がたてば、何かの結果を生み出します。
途中で枯れれば終わりなのです。
コミュニティFMも、枯れるか持ちこたえるかの境目なんて印象もなくはありません。
そこに必要なものは、庭師の厳しく暖かい目と考えると、そんな庭師に少しでも近づきたいと思っているのが今の私なのかもしれませんね。