フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

放送局がやりたい・2

「放送局がやりたい人」の悲劇は、「放送局をやってほしい人」がそれほど多くないと言うことではないだろうか。
需要がないのに、供給ばかりが増える悲劇だ。
多分、「放送局をやる」ことによって、何らかの優越的な位置に立てるという想いがあるのだろう。
放送局側にいることは、ステータスの証でもあると考えるのかもしれない。
これは、わからないでもない。
放送局側にいる人間は、それほど多くはない。
また、いたとしても「社員」という肩書きを持っているとは限らない。
放送局がやりたいというよりも、放送局に入りたい、あるいは入りたかったのに夢が叶わなかった、だからコミュニティFMという少し手が届きやすくなったメディアに人は殺到するのかもしれない。
放送局といっても、ピンからキリまである。
東京の民放キー局やNHKから、ローカルのテレビ局、ラジオ局、コミュニティFM局、CATV局、CS局、衛星放送局など色々だ。
しかも、ジャンルによって、放送内容も違えば業務内容も違ってくる。
放送局に入ったからといって、自分の力で何かできるわけではない、そこに用意された業務に自分を従わせることがほとんどだろう。
自己表現に放送局を選ぶ?
じゃ、何をあなたは表現したいの?
表現したいことに、どれほどのニーズがあるの?商品価値があるの?
ニーズと商品価値、それを生み出すことができるようになって、初めて放送局を作ることが可能になるはずではないだろうか。
作りたいのはよくわかった、じゃあ、作ってほしい人はどれだけいるのだろう、それもあなたに。
実は、こんなゴチャゴチャした話、本当はどうでもいいことなのだ。
放送局を作れば、何もしなくてもユーザーが自然に現れ、スポンサーがついてくれるならばだが。
売上はすべてを癒すと言ったのはダイエーの中内さんだったか。
とにかく、売上が上がれば、理屈などはどうでもいいのだ。
ニーズとか商品価値なんて、それがどうしたと言うのだですむ話だ。
だが、現実はそうなっていない。
コミュニティFMの売上なんて、誰を癒すこともできないのではと私は思う。
理屈を並べざるを得ないということは、それだけビジネスとしては苦しいと言うことではないだろうか。
ビジネスとしては成立しないコミュニティFM、私がそういう所以の一つである。