フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

コミュニティFMは夢の実現?

コミュニティFMを作りたいと言う人がまだまだ多い。
コミュニティFMは儲からないということが薄々わかったとしても、一度思い込んだ気持ちは止まらないようだ。
コミュニティFMは私の命です。
かって白浜にあった観光施設のCM「ハマブランカは私の命です」というフレーズを思い出してしまう。
否定的に言っているわけではない。
たとえ損をしても、一度やると夢みたことは石にかじりついてもやるのだという強い意志、それを評価したいという気持ちは私にもある。
私にアドバイスを求めてこられた方も、「いや私はやるといったらやるのです。市長にも会いに行きますし、商工会議所の会頭にも相談に行きます。みんなに約束しているのです。今更やめられません。」と不退転の意志を語られたりする。
コミュニティFMは私の命です。
命をかけるという人に私のような立場のものが何をいえようか。
ただ、一つだけ指摘しておきたいのは、その夢に共鳴して集まってきた人々をどう処遇するつもりなのかということ。
人と人が集まれば、様々な軋轢が生じるものだ。
そのゴタゴタを多少でも和らげるのが「お金」だったりする。
金は、人間関係の潤滑油でもある。
少々の不満があっても、しかるべき報酬(金)が人を納得させたりするものだ。
金ももらってないのに、何故我慢をしないといけないのか。
そんな声は、社会の至るところで聞く。
既存のコミュニティFMだって、ひょっとしたら「お金」が何らかの形で介在したら、もっと前向きな印象を地域に与えることも可能だったかもしれない。
儲からなくともいい、これは私の夢の実現だからという創業者の気持ちに嘘はなかろう。
だが、その夢に人々が参集したとき、夢は一気にうすぎたない現実を内包してしまうものだ。
儲からないでは、すまないのではないか。
潤滑油のないところに、円滑な企業活動は成立するのか。
夢を食って生きられるのはバクだけである。
金の切れ目が縁の切れ目、コミュニティFMにも等しく通用する教訓ではあるまいか。