フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

ストック・ラジオ

日常のライフサイクルに組み込まれたラジオは、フローなラジオであってもいいだろう。
時計がわりのラジオという意味もあるし、予定調和の世界であまり物事を考えなくて済むのは脳の休息にもなるかもしれない。
しかし、それならテレビでもいいという人もいるだろう。
自分のもてあます時間を、合意の下に奪ってくれる、それがテレビだとも言われている。
テレビなんて、いわばあなたの時間泥棒にすぎないのだ。
昔なら、様々な仕事で自分の時間を費やしたにもかかわらず、今やほとんどの仕事はマシーンが替わりにやってくれる。
そこで大量に余るあなたの時間。
テレビは、その余った時間をこれまた替わりに消費してくれる。
テレビを見て、何かを学んだ気になれるような番組なんかきわめて少ない。
そりゃ、そうだろう。
テレビは人々の余った時間の空白を埋めているだけなのだから。
こうして、一日なんてあっという間に過ぎてしまう。
何も学ばず、何も残さない。
ラジオには、できれば何かを残してほしいと思う。
聞けば納得、聞けば何かが見えてくる、ラジオは学ぶラジオであってほしい。
それが昨日私が書いたことでもある。
それを私はストック・ラジオという言葉にしたのだが、考えればFMのリスナーにとって、ラジオをストックすることはかっては日常茶飯事だったろう。
エアチェックというのは、ストックラジオの典型だ。
あの頃の音楽好きの若者は、カセットの膨大なストックを持っていた。
関西の若者にとっては伝説の音楽番組「ビート・オン・プラザ」があったし、全国的には「ソニー・ビッグ・スペシャル」「ゴールデン・ライブ・ステージ」などもあった。
今ではコンテンツなどという言葉を使っているが、かってはそんな言葉を使うまでもなく、ラジオはストックされることを前提に作られていた面もあったのである。
いつのまにか、ラジオもフロー化してしまった。
フローなものに、高度な知性は要らないといわれればそれまで。
今や、意味もなく音楽が流れ、刹那的な情報が切り売りされて消えていく。
もう、ストック・ラジオの技術的秘伝を継承するものもなしか?
などと、今日は好き勝手なことを書いてしまった。
ストック・ラジオ、それが今求められているものなのか、どうなのか。
正直、私も問題提起したものの、本質を把握しているという自信はないのが実情である。