フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

人事と金・4

今日はかっての放送局仲間と会い、最近の人事などについて情報交換をした。
そこで、強く思ったことは、昔と比べ「器が人を作る」ことが少なくなったということだ。
私の常識では、例えば課長になったり部長になったりしたら、その役職がその人の意識を変え、立場にあった責任感と義務感を自然と会得させると思っていた。
立場が人を作る、器が人を作る、というわけだ。
しかし、昨今では役職は器として機能していないという声を耳にするようになった。
部長と言っても名前だけ、取締役といっても名前だけ、甚だしくは社長と言っても名前だけだったりするのだ。
立場=器、その器に自分がはまり込めば、自然とその器の形に変容する。
きわめて理にかなった連想ではないだろうか。
では、最近は何故そうでないのかというと、役職が器の形をなしていないということしか考えられない。
役職の流動化というのだろうか、なるべく役職者の業務を固定化しないでフレキシブルにしておく、それが一番新しい人事政策だというように。
ヒエラルキーを作るより、スタッフを並列化したほうが効率のいい組織ができるというのだろう。
部下のいない部長や課長、名前を聞いただけではどんな業務をされているのか理解できない肩書きを持った専門職。
器の形をなしていない役職では、変るべき自分を見出せないのは自明ではないだろうか。
そんな環境で人はどういう判断をするか。
結局、それらしいポーズをどうやってとるか、役職者としてよくやっているようにどうやって見せるかにばかり神経を使うのではないだろうか。
器があれば、力を抜いてはまりこめばいいだけなのに。
だから、前の方が役職者は楽だったはずだ。
そこにいれば、自然と自分が変っていった。
メタモルフォセス、繭の中で自分は自然に変っていくことができた。
今は、何に変るか自分で考えないといけない。
意識改革だ、構造改革だと、頭でこねまわした理屈ばかりが机の上に積み重なる。
放送局は今こそ生まれ変わらないといけない、改革をしないといけない。
そんなの、簡単じゃないだろう、今まで誰もそんな悩みはなかったはずだ。
言葉にできない葛藤が放送局のフロアで管理職を苛んでいるような気がする。
器が人を作れなくなったということに人事担当者は気づいているだろうか。
昔の成功体験など、もはや何の役にも立たないと私は何度でも繰り返したい気分である。