フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

メジャー・ラジオ

かって、ラジオといえばメジャーなメディアというイメージだだった。
お茶の間のタンスの上にラジオは置かれ、針仕事をする母と子供たちが「君の名は」とか「お父さんはお人よし」とか「漫才学校」などの番組に耳を傾けていた。
私の記憶の中でも、「赤胴鈴之助」とか「少年探偵団」、「星をあげろ」とか「夫婦善哉」「ウッカリ夫人とチャッカリ夫人」「二十の扉」に「とんち教室」と次々にあげることができる。
「とんち教室」の石黒敬七さんに長崎抜天さんなんて名前、今でも懐かしく思い出す。
人々の生活の一部にラジオは確かに存在していたということなのだろう。
何しろ、童謡「母さんの歌」にこうある。


「母さんは麻糸つむぐ
 一日つむぐ
 お父は土間でわら打ち仕事
 お前もがんばれよ
 故郷の冬はさみしい
 せめてラジオ聞かせたい」


せめてラジオでもあれば、寂しい夜も過ごせるのではと親を思いやっている。
メジャー・ラジオというと、ちょっと違和感があるかもしれないが、その存在感は多分大きかったのだろうと思われるのだ。
さて、こんなことを書いていると「何をアナクロな」と鼻でせせら笑われそうだ。
もはやラジオは過去の栄光はつかめないのかもしれない。
ラジオが60年代頃からパーソナル化し、70年代に入ってFM局の隆盛とともに多様化し個別化した。
多様化、個別化の果てに、何がなんだかわからないようなメディアに変質してきたような気もしないでもない。
若年層には、もはや私がたどったラジオ体験にほとんど意義を感じないだろうと思われる。
ラジオに若者は今何を求めてるいるのか。
音楽なのか、情報なのか、アイドルなのか、癒しなのか。
ラジオ深夜便」が高年齢層世代に何故聴かれるのか、それは私の世代でもすごくよくわかる。
こういう番組をすれば、高年齢層は多分聴くだろうという企画も作れそうな気がする。
だが、若者層となると、さてどうなのかと思ってしまう。
私の経験則はあまり役に立たないのではというのが本音である。
もう一度、ラジオをメジャーなメディアとして認識してもらうにはどうしたらいいか。
現在、考え中といったところだろうか。


PS)ところで、はてなダイアリー登録情報によると「ユーザー登録から本日までに日記をつけた日数:1000日 」なのだそうです。つまり今日がブログ開始後1000回目ということになります。そうか、1000回か、よく書きつづけたものだと感慨に少し浸ってしまいました。さて、これからどこまで続けられるものやら。目指せ10000回といいたいところですが、それだと後30年近くかかりそう。ま、やるだけやるしかないというのが正直なところですかね。