フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

毎日の番組制作は大変である

かって私は「プロがプロたる所以は、何も話すことがなくなっても話しつづけることができることにある。」と書いた。
放電しきった電池、空になった電池でも、プロの電池は何とか電気を送りつづけることができるみたいな話だ。
普通ならありえないことである。
だが、放送のプロ、いわゆる専門家は一般人の想像を越えた技術があると私は思うのだ。
コミュニティFM関係者の方ならおわかりだろうが、毎日番組を制作することは大変以外の何ものでもない。
クオリティを均等にすること、しかも決して低レベルで均衡させてはならない。
その方針をブレイクダウンしたとき、ぶちあたるのが制作者の壁である。
そこにいるのは、明らかにプロではない制作者である。
一度放電してしまえば、後は繰り返ししかできない素人スタッフである。
そのスタッフに何が要求できよう。
しかもそのスタッフには、自分を拡大再生産できるだけの金は支払われていない。
番組を制作したいという気持ちがあって、ボランティアでもいい、制作に参加させてほしいと言って来たスタッフかもしれない。
だが、少し制作の形がわかれば、自分をより高めたいと思うのは当たり前だ。
そのための費用は自分で稼げというのかもしれないが、自分に自信を持ち始めたスタッフは、大いに不満に思うに違いない。
おれは単に、わけのわからん連中に体よく利用されているだけではないか、と。
それも、ある程度好きにさせてくれるならいいが、何だかんだと注文をつけてくる。
一円ももらっていないのに、そんな指示に従う義務があるのか。
ボランティアという、本来商人的価値観と相容れないスタッフを、利益を得るための戦力に使うことの限界であろう。
知的労働であろうと、その労働力に見合う報酬はあって当然なのだが、コミュニティFMでは何故か軽視されているような気がする。
毎日の番組制作は大変なのである。
それの一端を担い、日々クオリティを維持することに努力しているスタッフも大変なのである。
編成責任者がよく今のバランスでコミュニティFMの運営ができるものだと感心している。
お恥ずかしいが、私ならコミュニティFMの編成担当は無理だろう。
金もかけずに、クオリティを維持する術を知らない。
ま、今のところ編成をお願いしたいと正式に頼みに来られる方もおられないので安心ではあるが。