フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

いい制作者は孤立する

これも個人的な感想だが、「いい制作者は組織の中では孤立する」と思っている。
局には、それぞれ独特の空気がある。
その局で働くということは、その空気に自分を同化させることでもある。
同化するのは、それほど難しい話ではない。
ただ、普通に皆と仲良くいれば、自然とその空気が自分に備わるようになる。
放送局がそこそこ人気がある時は、その空気に染まることがベストであることは誰でも理解できよう。
ただ、ひとりの制作者としてはどうだろうか。
クリエイティビティを語るものには、そんな空気にただ同化することを無条件に善しとするのは抵抗があるのではないか。
かって、私は思った。
確かに、みんなそういう風に番組を作っている。
FM局は、どこもそういう作り方をしていて、人気も高い。
モア・ミュージック、レス・トーク
つまらない話をするなら、もっと曲をかけろというリスナーの声もよく聞いた。
しかし、そういう考え方と、局の中で蔓延する空気とは別ではないか。
自分がそんな空気に同化している状況では、その空気が時代に合わなくなった時に、それ自体が理解できなくなるのではないか。
空気の中にいるものは、空気の存在を忘れる。
ずっと水の中にいるものは、自分が水の中にいることを忘れる。
だから制作者はこう考えないといけない。
自分は、常に局の中に流れる空気によるバイアスを受けている。
番組を作るとき、どこかでそのバイアスを補正する意識が働くことが必要だ。
自分が空気の中にいることを忘れてはいけない。
たとえ、周りの者が皆敵になり、私の制作スタイルを全否定したとしても。


そして、いい制作者は孤立する。
自分がいい制作者であったかどうかはともかく、必然的にそうなるのだと私は思っている。
コミュニティFMで働く方々は、その局の中に流れる空気を意識できているだろうか。
コミュニティFMの番組はこう作るのだというスタイルは、局の空気が必然的に形成したものだということに気づいておられるだろうか。
局が支持されている、人気があるというのなら、別にその空気に同化するのも悪い選択とはいえない。
だが、ほとんどのコミュニティFMは、さほど地域の人々の心をつかんでいるように思えない。
だから、今ある空気に同化することは、制作者にとっては危険なことだと老婆心ながらそう思う。
いい制作者は孤立する。
その意味がわかる人が、コミュニティFMに増えることを願っている私だ。えらそうに言ってすまないが。