フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

早い話、制作とは

「早い話、制作とは」というタイトルを書いてしまったが、別にたいそうなことを言うつもりはない。
ためしにこう書いてみる。
早い話、制作とは結果勝負なのだ。
そりゃ、制作するプロセス、その時の態度、事前の準備、日頃の精進など、色々とチェックポイントはある。
だが、それ自体がどれだけ人並み優れていても結果が悪ければ屁のつっぱりにもならぬ。
番組を制作するということにおいては、結果だけが評価されるということだ。
自分ではいい番組を作っていると思っていても、リスナーがつかなければ業界での評価はゼロだ。
こうすればリスナーがつく、などという方程式はあると思わないほうがいい。
同じような番組を作っても、リスナーから支持されるケースとそうでないケースがある。
支持された場合は、インフレスパイラルに乗って人気番組に。
支持されなければ、デフレスパイラルで奈落の底へ。
とおりすがりさんの指摘する「県域局でもそうですが、金が無いところほど、改編すればするほど、改悪になっているものです。」というのは、まさしくこのデフレスパイラルゆえかと思うのだ。
ダメな局や、ダメな枠は、いくら改編しようが成功する可能性は極めて低い。
改編で成功するのは、元々その局や枠に潜在的な客がいた場合がほとんどで、一度離れた客を呼び戻すためのエネルギーは並大抵のものではないということは何度も思い知らされている。
その意味では、コミュニティFMを何とかしようなんて思うのは風車に向かうドンキホーテのようなものなのかもしれない。
どれだけの力を持っているか知らないが、勝てる相手じゃないよと忠告したくなる、もちろんこれからコミュニティFMを成功させようと意気込んでいる人たちにも。
敵を知り、己を知り、後はほどほどにコミュニティFMとお付き合いしたらどう?
あまり過大な結果を望まずに、ほどほどの結果、蝸牛の歩みでも実現できたらそれでいいのではと。
蝸牛の歩みって、ひょっとしたら否定的な意味だったかな。
ま、早い話制作とは、自分は必死になっていても、周りはその価値をあまり認めてくれない世界であることは確かなようだ。