フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

番組の制作マン

番組の制作マンはこうでなければならない等という点はそれほど多いとは思わない。
番組の作り方は、自ずと型というものがあり、それから逸脱すればするほどバランスが悪くなることは制作マンなら誰でもわかることである。
つまり制作マンにバランス感覚さえ備わっていれば、ああだこうだと周りがゴチャゴチャ言う必要はないと思う。
ただ、バランス感覚というのが、そんなに簡単に身に備わるのかというと、これは人によるとしか言いようがない。
音楽の世界に似ているかもしれない。
三味線の筋を一つ二つ教えれば、後は手探りで何とかなる、などという言葉もある。
経験の中から芸の真髄を探し当てるというのだろうか、そのための感覚というのは確かに人によって極端に違ったりするものだ。
ラジオの番組を作るにあたっても、見様見真似でできる部分と、それ以上のラジオの真髄を把握できないと次にいけない部分がある。
同じことの繰り返しでは、リスナーが飽きる。
本当はその前に本人が飽きていないといけないのだが、ディレクターによってはラジオの作り方はこう、それ以外は認められないという少し硬直的なタイプもいるようだ。
同じことの繰り返し、それこそがラジオなんて言われると、よく飽きないですね、君は我慢強いなあと皮肉の一つもいいたくなる。
偉大なるマンネリという言葉もあり、繰り返しを怖れてはいけないのはその通りなのだが、次のステージを求めるためには、どこかで自分の中の「飽き」に敏感であった方がいいのではと思う。
ある先輩が私にこう言ったことがある。
「いいか、ミキシングというのは正確に言うとカットアウトというのはないのだ。フェーダーを思い切り上にあげるのではなく、少しフェードイン気味に上げたほうが、耳になじみやすいものだ。」
確かに、カットインしてリスナーを驚かせるような結果にならないとは限らない。
音をぶつけるなんて、録音や編集段階ではいいのだが、生放送の時にそんな危険なことはしない方がいいというのもよくわかる。
ただ、そんなフェードインもどきのカットインが正しい、などと硬直的に考えるのもどうかと思う。
別にいいではないか、カットインでもフェードインでも。
時には、そういう身体に覚えこんだ型を少しくずし、え〜い、どうでもいいや〜!とばかりに無茶苦茶やってみてもいいのではと考えたりしたほうが面白くないだろうか。
型を作り、そして飽きれば、またその型を壊す。
その流れの中でバランスだけは失わない。
そういう繰り返しなら、確かに有意義な結果が生まれそうな気がする。
人はそれを、クリエイティブと呼ぶ。


なんてことを言っている、トコちゃん千日前を行くでした。