フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

脱よろず屋

コミュニティFMは下手をすると「よろず屋」になりかねないという趣旨の話をしています。
「よろず屋でもいい」という局もあれば、「何がよろず屋なのかわからない」という局もおありになるでしょう。
これは私のイメージですから、100%伝わらなくても仕方がないと思っています。
近くにそういう商品を置いている店がないから、最低限需要がありそうなものを置いているというのが「よろず屋」なのでしょうが、昔は確かにそういう側面があって「よろず屋」の存在意義はあったのでしょう。
ただもはやそんな時代ではないのです。
その店がなければ不便だと思う人は昔と比べて圧倒的に減っています。
それぐらいの商品しか置いてないなら、要らない。
コミュニティFMへのユーザーの見方は下手をするとそうなってしまいかねないのです。
「よろず屋」になるなら、コンビニの方がましでしょうという考え方の原点とでも言いましょうか。
コンビ二にNOとしたら、他にどんな方法があるか。
これは前から言っている「小さな専門店」方式です。
ただ、皆さんのコメントを読んでいると、この方式は評判が悪いです。
偏りを演出しても、それだけのリスナーはいないといわれる方が多い。
100人の購買力あるリスナーをつかんだ方が商売につながる、購買力のないリスナーを1万人つかんだとしても金にならなければ意味がないというのが私の意見でしたが、あまり説得力を持たなかったようです。
医者100人をリスナーに持つ局と低所得者層の労働者1万人を持つ局のどちらが金が稼げるかというと、私なら前者だと言うでしょう。
その昔の日本短波放送が十分商売になっていたのは、一般大衆を相手にするのでなく特別な層(医者とか株式関係とか)をターゲットにした番組に特化している部分があったからです。
コミュニティFMは一般大衆にあまねくサービスをしないといけないという考え方に固執するべきでしょうか、本当に。
コアな100人の方に放送するのが何故いけないのか、そうしたらスポンサーがつくかもしれない、あるいは直接リスナーから収入が得られるかもしれないのに。
金にならないリスナーを相手にするより、金になるリスナーだけを相手にする、それが少数でもコミュニティFMを維持することができるなら別にかまわないではないか。
さて、こういう考え方、本当に話にならないことだろうか。
私が番組をやるなら、ま、これぐらいまで極端ではないですが、多数派は狙いませんね。
どこにでもある放送をしても、コミュニティFMじゃ県域局に勝てません。
わざわざ聞いてくれるような番組を作るとしたら、多数派を意識していたのでは無理だと思います。
コミュニティFMの一つの道、それは「脱よろず屋」。
とりあえず、今日の問題提起とさせていただきます。