フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

下流ビジネス

最近とみに実感しているのが、放送局は「下流ビジネス」ということだ。
聞きなれない言葉かもしれない。
一言でいうと、上流から流れてくるものを拾うビジネスである。
流れてくるものを確実に捉える、それが放送局のビジネスモデルとでもいうか。
地方局がキー局から分配されるネット料を口をあけて待っているというのも、下流ビジネスの典型かもしれない。
上流にはキー局があり、その又上流には広告代理店がある。
早い話、放送局のアップストリームはこの広告代理店である。
キー局が偉そうなことを言っても、所詮は広告代理店が流してくるものを回収しているだけではないかと思わないでもない。
放送局の上流は、宝の山であった。
あふれるような宝が流されていた時期は、とにかくそれをキャッチすることで精一杯だったろう。
放送局さえ作れば、その流れてくる宝を得る特権的な機会を得ることができた。
それが、放送局は何もしないでも儲かるという利権意識につながったのだろう。
コミュニティFMが全国に次々と出来ていったのも、とにかく放送局さえもてば、上流から流れてくる富を労せずして獲得できると信じたからだろう。
上流がどうなっているかも知らず、ただ流れてくるものをキャッチすればいいというビジネスモデルを疑わなかったようにみえる。
残念なことに、コミュニティFMの川には、富と呼べるものはほとんど流れてこなかった。
一昔前なら、あふれるほどあった宝の一部がコミュニティFMの川にも流れ込んだかもしれない。
だが、今や本体の放送局の川にも、宝が潤沢に流れ込まなくなりつつある。
ラジオ局の川がまず枯渇しはじめ、その後テレビの川もこのままではやばいという予兆が見えつつある。
ただ拾えばいいというだけのビジネスモデルから、これからは自分達がその宝を作り出さないといけないビジネスモデルに変わらなければいけなくなっている。
下流ビジネス」で、ぬくぬくと生きることはもう無理だ。
自分達が上流になって、新しいビジネスモデルを考えないといけない。
先日、そういう話をあるラジオ局の経営者の方と話し合った。
確かに、放送局は「下流ビジネス」と呼ばれても仕方がないとその人は言った。
放送局はコンテンツビジネスだなどと思っていたが、実際は単なるキャリアに過ぎなかった。
いざコンテンツが商売になるとわかって、自分達の中にそれを探しはじめたが、コンテンツといえるようなものは殆どないことに気がついた。
コンテンツを持っていたのではない、流していただけなのだとその人は言った。
流していれば、富はどこからかやってきた。
流すということが商品なのだ。
今や、その流す(放送する)だけでは、金にならない時代がやってきた。
それに早く放送マンが気づかないといけなかったのだ、と。
コミュニティFMになると、結局その流すことの価値も定まらぬまま、いきなり下流ビジネスの悲哀に巻き込まれているのではと私は思う。
魚の住まない川に、投網打つ素人漁師のイメージが頭から離れない。
ビジネスとして、そんな仕事を賛美するのは滑稽かもしれない。
でも、それも又、私の夢という言葉には共感する。
宝を追い求めることばかりが人生ではないはずだからだ。