フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

何故若者は報われないのか

昨日の「朝まで生テレビ」で、若年労働者の低賃金の話が出ていた。
パネラーは、相変わらず論点をずらしながら、話題をループさせていた。
ループする議論というのは、結局自分の意見に現状を合わせようとするため、論点を恣意的にずらすからだと私は思っている。
現状の問題点を開帳しあうのは、それはそれで有意義なのだが、当事者からすると問題解決を先延ばししているだけではないかと感じるのではないだろうか。
痛みにうなっている患者を前にして、その原因をああだ、こうだといいながら、自分の仮説を議論しあっているとでもいうか。
議論するヒマがあったら、患者の痛みをとりあえず何とかしろよと言いたくなる。


いや、こういう痛みは、10年20年のスパンで考えないといけない。
今痛みを緩和したところで、先にはもっと色んな痛みが生まれてくる。
だから、当面は痛みに我慢してもらうのが一番だ。
耐えることも人間には必要なのだ。


今の政府関係者の考え方って、多分こんなところかもしれない。
気になるのは、本当にこの痛みが10年、20年のスパンで考えないといけないものなのかということ。
体制側の仮説に、大衆が盲目的に従属させられかねないのが怖い。
体制側は常に正しい。
批判する前に、まずはルールに従え。
ただし、そのルールは体制側が作る、と。


体制が常に正しいわけではないことは歴史が証明している。
体制側の仮説には、批判的な目で対応するのが一番合理的だと私は思っている。
100年安心の年金制度が、数年で破綻が見えはじめているのだから、何をかいわんやである。


国会での議論などを聞いていても、若者を救済の対象にするという話題がほとんどない。
若者は働かない、パラサイトだ、ニートだ。
甘やかされている、自衛隊に入れて精神を叩きなおせ、社会に奉仕させるなどして働くことの大事さを身体に覚えさせろ。
反抗させるな、国を愛する気持を涵養し、体制への忠誠心を持たせろ。
それが日本再生の道である。
そこに美しい国が生まれるのだ。


それで、社会が「美しく」なるのなら結構な話だ。
タバコをポイ捨てしたりするような大人がいなくなり、学校や会社でのイジメがなくなったりするのならウェルカムである。
だが、そんな仮説が本当に正しいのか。
若者が生活態度を変えたり、考え方を変えたりしたら、それで若者は救われるようになるのか。
救われるのは、体制側の人間たち、あるいは団塊の世代を中心にした大人たちだけではないのか。
若者達を救うために必要なことは、制度を変えて彼らを従属させることではないのではないか。
若者達が抑圧を過度に感じることなく、自分たちの未来を今住んでいる社会の中に見出せることではないのだろうか。
体制に若者をはめこむのでなく、若者の生きる場所を社会の中に用意することではないのか。
コミュニティFMでボランティアとして活動している若者達に、そんな未来を見出せる場所が用意できているのだろうか。
報われないままに、コミュニティFMから離れていく若者たちを見ていると、何か残念な気がしてならない昨今の私である。