フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

役所と金

昨日は、やや辛口な話を書いた。
だが、私は3セクや役所をどうしようもない存在だとは思っていない。
それぞれ何らかの必然性を持って生まれ、今の体制を維持する機能を十分すぎるほど持っていると信じている。
欠点は目立ちやすいし、指摘されやすい。
業務がうまく行っている間はいいが、少し問題を起こして表面化したりすると途端に批判の嵐が吹き荒れる。
それを喜んでいるものもいれば、金にしようという連中もいる。
マイナス材料をネタに、役所から予算をぶんどろうとしている人を私だけでも何十人と知っている。
しかも、バックに政治家らしき人がからんでいるから始末におえない。
役所が無謬性を保持しないといけないのは、こういった連中に国民の財産(税)を奪われないためでもあるのだと思う。
役所は、国民から金を徴収すると同時に、それを不正な連中から守る義務がある。
守るための武器が法律であったり、制度だったりするのだろう。
悪い部分だけをあげつらうほど、それに付け込んで国民の金をほしいままにする連中が元気になったりする。
だから役所をあまり追い込むのも考え物だということを知っていてほしい。
善意と悪意の割合だけを言えば、役所の大部分は圧倒的に善意だ。
これは学校という組織でもそうだろうし、民営化されてしまった郵便局などもそう。
一分の悪意をネタに、すべて悪いなんてプロパガンダに翻弄されたのが昨年の衆院選だったと思う。
政治力学的にいえば、パワーオブバランスを変えるために問題を単純化し、どちらかを徹底的な悪として排斥するムーブメントを起こすのは常道かもしれない。
しかし、郵便局が普遍的に悪であったわけではないし、一部の腐敗をすべての腐敗に置き換えるのも著しく均衡を欠くやりかただと私は思う。
コミュニティFMもそうだろう。
一部の経営者や責任者が独善的だったり、無能だったとしても、それを根拠にコミュニティFMを否定するわけにはいくまい。
ただ否定するだけではなく、何のために否定するかを明確にしないと建設的な議論にならず、単なる愚痴で終わってしまうのではないだろうか。
コミュニティFMには、役所のように国民から徴収した財産を守る義務はないが、電波という国民から付託された財産を適切に利用する義務はあるはずだ。
自分達の問題を処理するのに精一杯のコミュニティFMも多いだろうが、少し余裕ができたらそのあたりをもう一度考えてほしいと思う私である。