フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

コミュニティFMと3セク

昨日は、古巣の局のOB会があり出席した。
何人かの方とコミュニティFMの話をした。
某局の社長をされている方もおられ、現状の知識は少なからず聞かせていただいたが、コミュニティFMの未来像まではさぐれないままだった。
で、つくづく思ったのだが、コミュニティFMが苦境を打破できない理由の半分は、3セクによる経営体制にあるのではないだろうか。
3セクコミュニティFMには、少なからぬ行政からの援助がある。
毎年減らされて大変だといわれるが、減らされたのかもしれないが決して少なくはない費用をもらっているではないかといいたくなるのだ。
元々、制作予算には、いわゆる遊びの部分があったのだと思う。
スタッフに金を使うもよし、設備に使うもよしだった。(ほとんどがボランティアだったとしても)
で、制作費カットとなり、有料のスタッフを減らしたり、ギャラを下げたりして対応。
社員に関する費用も削減、事務所の費用も削減、高い費用でアウトソーシングしていた部分のカット、番組の自主制作枠を減らし、衛星放送で埋める。
ついでにその衛星放送への支払も減額要請。
これだけカットして、何とか黒字を出しているんですよ、大変なんだからと言われる方もいるが、そんな小手先だけの改編で済むのは、結局3セクのコミュニティFMだからではないですかといいたくなる。
縮小再生産過程にあっても、役所は維持できていればそれで良しとするのが普通だ。
夕張市だって、目に見えて破綻しない限り、心から危機感を持つ人など少なかったはず。
とにかく、今日何とかなれば、明日のことはその延長上での小手先の改革で良しとするのが役所の常なのではないだろうか。
小泉さんが「改革をとめるな!」と言ったり、「自民党は改革政党になった!」なんて主張されていたが、役人は「言うのは自由、改革といってもそんな構造をひっくり返すようなことなどできるはずがない」と思っていたはず。
多分、民主党が政権をとっても、根本的な改革なんかできっこない、今を少し改善するだけで終わりそうな気がするのだ。
コミュニティFMを改革できないものが、国を改革することができるはずもなし。
一度、すべてをカオスに巻き込む戦略というのもありかもしれないが、議会制民主主義では多分実現は無理だろう。
田中康夫さんが、あれだけ長野県のために自己犠牲の努力を重ねられたのに、結局やり方が気にいらないという理由で人民によって引き摺り下ろされるのだから。
などと、コミュニティFM3セクの関係を考えながら、しばし妄想にふけっってしまった。
政治がよくならなければ、コミュニティFMもよくならないのかも。