フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

コミュニティFM論・3

昨日の続き。
過度な管理は番組の可能性を潰す、という趣旨。


市場のメカニズムに番組をゆだねるというのは、できるだけ番組をセットフリーにすることから始まる。
自由な番組作りこそが、自由な市場経済と対応するのだ。
スポンサーの声を聞き、リスナーの声を聞き、そして己の声を聞く。
それらの弁証法止揚の中から、新しい人気番組が生まれてくるのである。
そのためには、なるだけ管理的なキーワードを排することが編成マンに求められる。
どんな番組を作るのも自由。
最低限度の品格と倫理が通奏低音のように流れていれば、どんな番組もOKである。
スタートはまずそこから。
あれやったらダメ、これやったらダメなんて言っていたら、どこに弁証法の入る余地があるのだ。
それぐらいなら、どこかのコンピューターに番組つくりを任せておけばよいのだ。
高い人件費を払って作るような番組ではない。
制作費をかけて作るなら、思い切り自由な番組にしよう。
大体、金もかけないで自由な番組作りなんか絶対にできないと私は思う。
自由とは本来、コストが高いものなのである。
これぐらいの普遍的な真理は、放送マンなら知っているべきだろう。
どうもこの時期の私の表現は少々極端な感じがするのだが、どこかのコミュニティFMに苛立ちを感じていたのだろうか。
私は制作者の人的管理は絶対に必要だと思うが、番組の内容管理については寛容であるべきだという意見をもっている。
絶対的な誤りはその都度補正すべきだが、相対的な部分は制作者の判断に任せればよいのではと考えるからだ。
個人の創意工夫って、自由な環境の中からしか生まれないという気持ちは今も変わらない。
他人を管理したがる人って、たいてい自分の価値観を絶対化しがちである。
何が相対的であり、何が絶対的であるか、わかって管理できているのなら問題はないのだが。