フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

コミュニティFM論・2

過去の私のブログ「ペンギンノート」からコミュニティFM論を抜粋している。
今日は、「過度な管理は番組を潰す」という話。


あるコミュニティFMのオーナーの方が言っていた。
私は日本の文化を大切にしたい。
日本語を大切にしたい。
だから、出演してもらう人はきれいな日本語を話す人に限定してほしい。
J-POPもできれば最小限度しかかけないようにとお願いしている。
私は別に反論しなかった。
それで経営ができるのなら、別に問題があるとは思えない。
あくまで「それで経営が成り立つならば」だが。
ラジオというのは、社会の合わせ鏡みたいなものである。
上から教育しようとか、管理しようとかいう発想が強ければ、リスナーは鬱陶しがって逃げていくだけである。
ニーズがあるからこそ、リスナーが育つのだ。
放送さえしていれば、絶対に誰かが聞くわけではない.
ラジオ日本なんか、見事にずっこけたではないか。
洋楽放送禁止、かけるなら演歌とか民謡とか伝統音楽だけ。
経営の根幹は巨人戦の独占中継があるからいいのだ、そんな漫画的な経営方針を悪評の多かった社長が言っていた。
で、その結果リスナーがどんどん離れていった。
スポンサーだって、いつまでもおつきあいで金だけ出してはいられない。
伝統的な日本への回帰を志向したと思われる、時代錯誤な経営方針は、市場のメカニズムによって追放されることとなった。
どんなユニークな編成方針も市場のメカニズムの前には無力である。
それを放送人は自覚すべきだ。
これは2002年6月のブログである。
例にあげたコミュニティFMは紆余曲折を経ながらも、今日も元気に放送を続けておられる。
それが美しい日本語かどうかは、さておいて。
ラジオ日本は、肝心の巨人戦がキラーコンテンツでなくなってしまったという誤算はあるものの、何とか経営は安定しておられるようだ。
当たり前だが、ポップスを禁止するなどというバカな編成方針は今はとっておられない。
差別化をはかるのは、ビジネスであれば当たり前のことである。
演歌しかかけない、クラシックしかかけないでもいいのだと思う。
問題はそれが市場に受け入れられるかということだ。
市場を形成することができるか、と言い換えてもいい。
市場のメカニズムにどれだけ自分達の放送が乗れるか。
それを検証することを忘れてはならないと思う。