フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

よくある話

コミュニティFMも人間集団であるから、人間関係の軋轢というのは不可避だ。
特に管理者と実際に現場で働く人との関係が、官僚的になり、意思疎通が図れなくなるとしたら残念なことである。
現場の不満がどこへも吐き出せなくなるとしたら、そこに生まれるのは鬱屈した空気であり、ピリピリした非生産的空間だったりする。
管理者は常に、これらの矛盾に対して敏感でなくてはならない。
その解決方法が、単にルールの遵守を強要するだけでは、集団の解体は進む一方だろう。
必要なことは、ルールの遵守精神を押し付けることではなく、人間集団が生産的な方向へ向かうための方策を常に集団の日々の交流の中から醸造することだと私は思う。
上昇志向を、ただルールの逸脱に対する罰と言う形で抑圧してはならない。
その集団が今後とも存続し発展することを目的とした試みを、自分の意見に合わないからと頭から否定する管理者、残念だが停滞する組織によくある現象である。
善意な意味で状況を変えようとするものをルール違反だからという理由で抑圧してはならない。
造反有理」という言葉があるが、多分、本質的な意味はそういうところにあるのだろう。
えらく硬い話をしてしまったが、コミュニティFMの話(県域もあまり変わらないが)を聞くにつれ、そういった考えが脳裏をよぎるのである。
現場がこうしたいと思ったときに、まず否定から入る管理者の何と多いことか。
今までのやり方でいい、新しいやり方なんか勝手に考えるんじゃない。
おれの方針はこうだ、それにまず従うのが現場の仕事だろう。
でも、現場の人は思う。
方針っていうけど、それが何故頻繁にコロコロ変わるのか、と。
この前こう指示されたから、私達はこうした。
なのに、それが失敗したら、そんな指示をしたのではない、おれの言ったことはこういうことだ、と勝手に修正してまい、恬として恥じない管理者。
約束を守らない管理者。
価値観を押し付ける管理者。(たいてい独り善がりな価値観だったりする)
コミュニティFMのような、金によって癒されることが考えにくい職場環境にあって、ただ独善的にしかみえない管理者がいることは不幸なことだと私は思う。
いや、別にどこの局がそうだというわけではない。
私の中の脳内FMがそんな妄想を呼び起こしているだけかもしれない。
ま、たぶん、どこの社会にもよくあることなんだろうが、。