フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

ラジオに求めるもの・2

昨日の続き。
ラジオに求めるもの、その2はコミュニケーション。
中学生になった時、私はラジオの深夜放送に初めて接したわけだが、そこで大人の人たちが全く私の知らない話題で盛り上がっていることを知った。
下ネタもあったが、それ以上に大人の世界の広さを知ることにより、芽生え始めた知的好奇心を大いに満足させてくれたものだった。
書物の音声版と言い換えてもよいだろう。
読書の楽しさとラジオの楽しさは、中学生の私には等価だった。
色んな才能との出会い。
一番聞いていたラジオは、前にも書いたと思うが中西ディレクターのおられたラジオ大阪OBC
深夜放送で言うと、「アナウンサー・コーナー」。
毎晩、ラジオ大阪の男性アナウンサーの生放送が11時から1時まで続いた。(うろ覚えだが)
ポップスの日、歌謡曲の日、カントリーの日、ただ喋るだけの日、アナウンサーの個性に合わせてフレキシブルな内容構成だったのが印象的だった。
これはラジオにしかない世界だと、私は強く思った。
後に、深夜放送が一般化するにつれ、オールナイト番組が出現するようになる。
OBCで言うと、「大阪オールナイト〜夜明けまでご一緒に」。
ここで華々しくデビューするのが、桂枝雀師匠(当時桂小米)。
SRというSFチックなショート落語(SR)というジャンルを創造されたりした。
MBSでいうと、前にも書いた「ヤングタウン」の桂三枝師匠。
ABCだと、「ヤングリクエスト」の笑福亭仁鶴師匠、キダタロー大先生。
桂米朝師匠を知ったのもラジオ。
KBSのリクエスト番組をイーデス・ハンソン女史と担当されたり、OBCの人気番組だった「題名のない番組」を小松左京氏と担当されたり。
米朝師匠からは、粋の世界を教えられた。
それもリスナーとの会話を通じて。
リスナーにも実に才能のある、粋な人たちがいた。
衣笠山のたぬき坊や」「衣笠山のたぬき親父」「ドスケビッチ・オナゴスキー」、風変わりなペンネームを持ったたくさんの常連さんが番組を支えていた。
ラジオは実にみんなで作るものだった。
ただ、情報を与える、音楽を聞かせるというものではなかった。
だから、ラジオは本来、AMであれ、FMであれ、僕達のものだと私は思ったのだ。
今、ラジオにそんな魅力はあるか?
一方的に情報を送るだけの番組になってはいないだろうか。
ラジオの役割の一つ、それがコミュニケーション。
それを待っているリスナーもたくさんいるはずだと私は思う。