フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

賑わいの演出・3

町おこしとか村おこしとかいう言葉があるが、早い話、どうやって地域に賑わいを演出できるかという問題なのだと思う。
賑わっていれば、誰も町おこしや村おこしなんて言うはずがない。
だから、ある明確な意図をもって賑わいを演出することが必要なのだ。
では、賑わいとは何か。
それは「ケ」の中に「ハレ」を演出することかもしれない。
日常の中に非日常を混合させ、一種のカオスを作り出すことかもしれない。
昨日と違う今日、今日と違う明日、その連続が賑わいを産み出すと言うこともできるだろう。
人がある種、精神的高揚を感じる風景を現出させること、それが賑わいの演出だとしたら、そんなことができる人が何人いるだろうか。
コミュニティFMの世界でも又同じ。
賑わいの演出家を育てる努力を誰がしただろうか。
金をぶちこめば、賑わいが産まれるというのは間違いだということは、すでにコミュニティFM関係者ならわかっていることだろう。
確かに瞬間的には、それ相応の非日常は創り出せる。
だが、そんなものは簡単に日常に同化してしまうものだ。
その同化した状況の中から非日常を創り出せる人材がいない限り、最初に使った金はすべて浪費となって消えてしまうのみ。
会館を作れば、文化が発展するという神話、それが神話でしかないことは、経験者なら誰でもわかる。
空港を作れば、どんどん飛行機が飛んでくる、観光客がやってくるという神話、今でもそんな神話を信じて、開発費が湯水のように注ぎ込まれている。
賑わいは、もっと地道な作業の下に産まれるものだと人は知るべきだ。
神殿を建てるよりも、布教者を育てるべきだというべきか。
コミュニティFMを布教できる人材、皆さんのところにいるだろうか。
はだしで一軒一軒歩きまわる、そんな功徳をつむ求道者がいるだろうか。
コミュニティFMに成功したビジネスモデルがないとするならば、働くものの苦労は並み大抵ではないだろう。
間違った方針を今でも唱え続ける経営者もいるかもしれない。
私が言えるのは、とにかくどうやって賑わいを創り出せるかに問題を絞れということだ。
人がどうやれば集まってくるか。
人は何に熱狂し、そのカオスの中に身を置こうとするのか。
とにかく繰り返しの日常の中に、コミュニティFMの生きる道があるとは思えない。
人々の中の非日常の世界。
それを掘り出すことにもチャレンジしてほしい、そんな気がする晩秋。