フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

「つばさ」、ラストに向かって・・

連続ドラマ「つばさ」、いよいよ大団円に向かって突っ走り始めたようですね。
とにかくカオスというか、無茶苦茶感をとりあえず作って、それを過去の価値観と一挙に整合させ、何か問題が解決したみたいな錯覚を起こさせようとするのでしょう。
今日、TFMの「サントリー・サタデー・ウェイティング・バー」を聞いていたら、「つばさ」の脚本を書いている戸田山雅司さんが出演。
ドラマの脚本を書く大変さを愉快そうに語っておられました。
お話そのものは面白かったのですが、ああ、それじゃあコミュニティFMの本質的な部分まで計算に入れることは難しいなと思ったわけです。
多分、戸田山さんがコミュニティFMを舞台にと思ったわけじゃないのでしょう。
じゃあ、誰がコミュニティFMを設定したのか、プロデューサーなのかそれとも・・・。
私が最初にこの欄で「つばさ」を取り上げたのは、昨年の4月25日です。
タイトルは「期待したいつばさ」。
NHKのウェブサイトから次の部分を引用しています。


母のせいで家に居場所が無くなったつばさは、地元のコミュニティーラジオ局で働くことに…。
ラジオの仕事は何も分からないつばさでしたが、営業や取材で川越の町を駆け回り、番組のリスナーたちと交流を重ねるうちに、それまで考えることもなかった、町にあふれる様々な問題や出来事を知ります。
そしてつばさは日々、リスナーと一緒になって悩みながら、問題の解決のために努力し、たくさんの町の人々との絆を深めていくのです。
これだけ読むと、連続ドラマ「つばさ」が今のコミュニティFMの問題点、また今後のコミュニティFMがどうあるべきかを考えさせる内容になっているように思えます。
しかし、それから1年後に始まった実際の「つばさ」、営業や取材で駆け回っているようには見えないし、リスナーとの交流を重ねているようにも見えないし、たくさんの町の人々との絆を深めていっているとはあまり思えません。
NHKのサイトに書いてあるのは、多分企画者の持つコミュニティFM観そのものなのだと思います。
これはこれで間違っていません。
しかし、その企画を渡された制作者たち(脚本家を含む)には、それだけでは半年間のドラマの起承転結は描けなかったのでしょう。
作り手側に、コミュニティFMが抱えている問題のソリューションがない限り、元々企画をブレイクダウンすることはできなかったのではないかと思うのです。
サントリー・サタデー・ウェイティング・バー」のサイトに戸田山さんのトークの一部が紹介されています。

朝ドラ的ヒロインは「両親の愛に育まれて健全に育った女の子」。でも僕はそういう女の子像に抵抗があったので「そういう女の子に育ってしまったことが彼女にとって一番の負荷になっている」という話にしようと考えた。
だから『つばさ』は「二十歳のおかんが実は間違っている」という構造になっている。
それにしてもこれだけの分量を書いた経験はなかった。
ちゅらさん』の岡田惠和さんは「マラソンだと思ったけど毎回100m走だった」と言っていたけど、まさにその通りだった。
これだけ読むと、元々の企画と現場が描こうとした世界が違うことはよくわかりますね。
毎回100m走ではコミュニティFMのソリューションを考えるなんて無理でしょう。
スタートまで1年間という猶予では、そこまで考えつかないし、また業界をよくわかっている人のコミットがあまりなかったということも、私が期待したドラマにならなかった理由だったかもしれません。
この話、また明日も書きます。