フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

番組を料理すること・・

ジョンさんのコメントに「発信側重視の例で、すべてのコミュニティ放送局がこういうものだと思われても困ります。」というのがありましたが、私も同感です。
NHKだけの特徴ではありませんが、放送の取材の仕方を見ると、基本的に「発信者」を主体として全体を構成するようです。


何とかという集団がある→彼らの問題意識はこうだ→それを実践しようとみんなで議論→問題点は山積、簡単にはできそうにない→それでも、一つ一つ課題を解決→だが、そこに大きな問題が起きた→もう、諦めるしかない→でも、諦めない、自分を信じることだ、信じることができれば夢は実現する→そして放送局がスタート→やったー、これで長年の苦労が報われた→しかし、問題はこれからだ、でも、私達は負けない・・・。


そこに、リスナーのニーズが本質的に問題視されることは少ないような気がします。
こうすれば、きっとリスナーも喜んでくれる、こういうニーズがあるにちがいない、それぐらいの指摘で話が進んでいくのが普通ではないでしょうか。
「つばさ」がどういう展開で話が進むのか、今のところわかりません。
ただ、下手をすると上記のようなストーリー展開になりかねないので、そこはくれぐれもそうあってほしくないと私は書いておきたいと思います。
で、私の意見ですが、コミュニティFMにおいては、できれば発信者側を重視するのではなく、リスナー側を重視してほしいと思うのです。
どんなラジオを聞きたいのか、どんな番組だったら聞いてみようと思うのか。
でも、これを正面から聞いても、まず本当の答は返ってきません。
多分、リスナーにはこういうラジオなら聞くという自覚は薄いのではないでしょうか。
ニーズというのは、発信者側が掘り出すものではないかと私は思っています。
リスナーがこういう番組を作ってほしいと言われて作ったところで、多分そのうち聞かなくなるでしょう。
リスナー主導でラジオを作っても、リスナーは飽きるだけです。
作り手は、多分リスナーは今こういう情報をほしがっているだろう、そして、その情報を流せば、きっとこういう風に反応するだろう。その反応を受けて、次にこんな仕掛けを・・・。
多分、ラジオを作るものの姿勢というのはそうであるべきではないかと思うのです。
リスナーにとってはサプライズも必要ですし、またカタルシスも必要なのです。
それらをどう自分の料理の中で実現できるか、ディレクターとはまさしく時間の料理人でもあるということです。
いい番組=おいしい料理と考えたら、作り手側の要件は自ずとおわかりいただけるのではないかと思います。
そんな話をまた明日も。