フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

社員ディレクターのメリット・デメリット

ディレクターは必ずしも社員である必要はない。
制作会社やフリーのディレクターをうまく活用している例もあるではないかという指摘は尤もです。
私もそういうスタッフと仕事をしているのですから、彼らを否定するつもりで書いたのではありません。
トップマネジメント層が、安易に番組制作を考えていることに対する苦言とお考え下さい。
能力あるスタッフが、自分のスキルを更に高めるためにはどういう条件が必要か、私を例にして書いてみたいと思います。
まずは、無条件に機会を与えることです。
いいプランができたら提出しろ、その時に考えてやるという立場を強く出すのは賛成できません。
それを言った責任者が、本当に人の力量を正しく把握できるかどうかはわかりません。
その人が気にいったら採用してやる、などと言われれば、その人が気に入りそうな企画書を提出しがちです。
そうしないと仕事がもらえないと思うと、どうしても人は自分のセンスを横に置いて、他者に合わせてしまいます。
この他者に合わせようという意識が、画一的な番組を生むのだと思います。
とんでもない番組を作ってこそ、新しい世界が生まれ、他番組と差別化された作品が生まれるのです。
それで何度か失敗してもいい、他者に合わせていては失敗しないかもしれないが、同じ地平での繰り返しになるだけです。
コミュニティFMは、所詮コミュニティFMだ、と言われるのは、たいていこういう状況で番組を作っているからではないかと思うのです。
ということで、ディレクターには無条件に番組を作る機会を与えろという結論になるのです。
何を作っても、最低限のところをクリアしていれば許容するとでもいいましょうか。
社外の人間は、そういわれてもなかなかできないかもしれません。
だからといっては何ですが、私は社員をディレクターにしろと言っているわけです。
何度もいいますが、番組制作者として世の中から評価されてきた人はたいてい放送局の社員でした。
しかも社内では変わり者というか、アウトローというか、社員という枠に納まりきれない人が大半でした。
映画界でもそうです。
黒澤にしても、小津安二郎にしても、みんな映画会社の社員です。
レギュラー的に仕事が回ってくる、とにかく仕事が一杯ある中、奮闘してきた人たちです。
機会は、ふんだんに与えられていたのです。
自分で企画書を書いて、お願いですから私に映画をとらせてくださいなどと言ってはいないでしょう。
私もそうです。
仕事などいくらでもありました。
何しろ、会社にとって社員は使わないと損です。
使えば使うほど、評価されるような番組を作ってくれれば、会社としては大助かりでしょう。
扱いにくい点を除けばですが。
この話、しばらく続けます。