バブル
昨日、今日と全くテレビを見ていない。
ラジオは朝から聞いているので、世の中に何が起きているかは大体わかる。
ネットで情報を得るのは、私の仕事の一部でもあるので、社会の動きに乗り遅れるようなことはない。
ただ一点、テレビを見ている人との差が出る。
私の脳のデータベースの中には、テレビによって流された映像がほとんどないということだ。
情報は共有していても、映像は共有しない。
そんな時間が長くなれば、テレビを見るものと見ないものの間にどんな有意差が生まれるのだろう。
少なくとも、テレビを使ったマインドコントロールからは自由でいられる。
それが幸せなのかどうかは何とも言えないが。
マインドコントロールの典型は「バブル」だ。
テレビだけがそれを作ったとは思えないが、それを助長したのは確かだ。
マンションの分譲はすべて抽選。
10倍以上の倍率、当たらなければ家も買えない時代。
それをずっと映していたのはテレビだ。
公示地価がまた上がりました、一番高いのは銀座の鳩居堂前・・・。
そんなニュースを繰り返し流していたのもテレビ。
地上げ屋の横暴を映像で追っかけていたのもテレビ。
夜になるとタクシーがつかまらない、乗車拒否が又問題にと伝えつづけていたのもテレビ。
これらが見ている者達の間に空気を作る。
この状態はこれからの社会の中では当たり前なのだ。
だから、この空気の中で生きていくにはどうするかを考えないといけないと人は思うようになる。
バブルという、何ら基盤のない状態であることを自覚することもなく。
バブルは「空気」だった。
それを正面から指摘する人もなかった。
多分、人間とはそういうものなのだ。
一度自分が回り始めたら、自分の力で止めることなど本来はできない。
先日来、性懲りもなく土地が値上がりしていた。
ファンドという新しい概念がそれを担保していた。
漫画みたいに高層ビルが建ち、高層マンションが建ち、一日で完売などという「虚構」がニュースという実体となって流れていた。
空気を読めといいながら、本当は誰も空気の実体を感じることはできない。
などと書いている私も、どこまでそれを読めていることやら。