フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

2008年の展望・3

2008年、今ラジオに何ができるか、しばらくそれを考えてみようと思います。
文化放送の三木明博社長が昨日、メディア界のデジタル時代に向けて「聴覚による情報収集やエンターテインメントの享受がなくならない限り、我々ラジオは健在だ。良質なコンテンツを送り続ける放送事業者として確固たる地位を築くことが戦略目標」というスピーチをしたという報道がありました。
「聴覚による情報収集やエンターテインメントの享受」という表現には少し違和感がありますが、言わんとされていることはよくわかります。
耳を通じたメディアは不滅だということなのでしょう。
確かにラジオは耳だけで成立します。
テレビもインターネットも視覚メディアです。
聴覚も当然ながら必要ですが、その重要性は視覚の1/10以下かもしれません。
現代人は目を酷使しすぎているという指摘もありますが、耳を酷使しているという話はあまり聞きません。
ロック系のミュージシャンや、電車の中でシャカシャカ騒音を撒き散らしながら音楽を聞いている連中は、耳に過度の負担を押しつけているような気もしますが、それでも耳を酷使しているという印象はありません。
それで、左耳が聞こえなくなった女性アイドル歌手もいたようですが、あくまで例外と考えるべきでしょう。
耳は、音を通じて脳を癒すという側面があるように思います。
耳が望むのは、癒しであったり、快感であったりします。
自然の中で聞く川のせせらぎの音、鳥の鳴き声、吹き渡る風のそよぎ。
あるいは愛する人のやさしい言葉。
母の語る童話の世界。
自分が病気になってベッドに寝ている時、一番落ち着けるのはラジオから聞こえてくる音なのではないでしょうか。
ラジオは人の生活を邪魔しない。
テレビやインターネットは、時として人をいらつかせたりするような気がしませんか。
視覚は、獲物を追うには必要な機能です。
じゃ、耳は?
そうです、耳は視覚ほど切迫された機能ではありません。
耳は、情報を得るための手段、そして癒されるための手段でもあります。
視覚が不可避的に持つ弱点、その弱点は当然、テレビやインターネットにも反映されるでしょう。
ラジオは、その弱点を持たないメディアだと主張し、人々に情報を、癒しを送り届けることを目指すべきなのかもしれません。
ラジオのアイデンティティをもう一度認識しなおす、私達の作業はそこから始めるべきではと、少し思ったりしている次第です。