フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

歴史を語れるラジオ

民放ラジオには55年の歴史があります。
資料によれば、中部日本放送CBC)と毎日放送MBS)が1951年9月に放送を開始したとあります。
それ以来、CBCにもMBSにも色んな出来事があったでしょう。
あの時はああだった、こうだった。
人々の思い出が、放送局の歴史を紡いでいるのだと思われます。
私が関わったFM局も35年を超えました。
その間、色んなことがあり、それを共同体験としてもっておられるリスナーが当時を懐かしく語っておられたりします。
ラジオが何を目的にしているのかは別にして、結果的に人々からラジオ局自体の歴史が語られるような、そんなラジオ局にしないといけないと思うわけです。
前に私も含めて少々無茶した放送局のエピソードを語りました。
そういったバイタリティが番組にも反映し、「気分」としてリスナーに伝わっていたという気がするのです。
あの時は面白かった、今はそうでないのがとても残念です、と言われたりすると、今は直接ラジオ局と関係ない私も申し訳なく思ったりしております。
歴史を持つラジオ局は常に今を検証されるのは仕方がありません。
むしろ、そういう歴史を少しでも形作れたことが貴重な財産だと思えたりするのです。
コミュニティFMも、多分そういう日々の作業が積もり積もって、その局の歴史を作っていくのだと自覚すべきではないでしょうか。
漫然と番組を作っているだけでは、時間はさらっと流れていくだけです。
川が毎日同じように流れているだけでは、川の歴史は生まれないわけです。
暴れ川になったり、枯れ川になったり、流域が変わったりと、日々色々変化していくようにコミュニティFMも変化し、スタッフ同士も刺激しあいながら、ラジオの歴史を作っていかないと、何のために仕事をしているのかということになるのではないでしょうか。
ただ、東京から流れてくる番組を再送信するだけで良しとしていたら、その歴史は単に東京の歴史をなぞったものでしかありません。
そんなものが、あの時はああだった、こうだったという思い出話にどうつながるというのでしょうか。
歴史を語れるラジオ、そういった矜持がコミュニティFMにも又必要なのではないかと痛切に感じる次第です。
みなさんの局に、ヒストリーは育っておられますでしょうか。