フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

「しんくう地帯」再び

昨年の6/1に書いたFM大阪の番組「しんくう地帯」に最近になってお二人の方からコメントをいただいたりしている。
私も色々とコメントしたのだが、本文でもう一度とりあげてみようと思い、今日書き込むことにした。
ボランティアの話の続きをなかなか書かなくて申し訳ないが、今回もお許し頂きたいと思う次第。
なお、「しんくう地帯」が何のことかわからない方は、下記のページをご参照下され。


http://d.hatena.ne.jp/from3/20040601


昭和56年というから今から24年前に、FM大阪開局10周年を記念して「僕はFMしか知らなかった」という本が出版された。
開局から10年の間に放送された番組やエピソードなどが、200ページあまりに渡って書かれている。
興味のある方は、ひょっとしたら古本屋にあるかもしれないので一度お探しのほどを。
で、その中に「しんくう地帯」について触れた項がある。
少し引用しよう。


開局翌年(1971年)の6月20日、日曜日。深夜3時。ピンク・フロイドの<モア>なんて長い曲が流れて『しんくう地帯』が飛び出した。(中略)その頃、放送部長が「六本木の娘やでえ」と言って連れてきたケイは、ひどく風変わりな女の子だった。彼女のニュイな声がひどくロックに合うことを発見、云々。「誰も聞いていないラジオっていいな、好きな曲かけて、好きなことしゃべって、イヤになったらすぐやめるの」といいだした。(中略)他にやることのない連中がタムロしている。ビチという少女が持ってきたレコードが散らかり、気に入った曲をけだるそうにかけている。不思議な倦怠を感じさせるケイの声とイントネーションが、眠気でぼんやりとした頭を愛撫する。


その後、半年ぐらいで西山恵子さんはいなくなったらしい。忽然と姿を消したのだという。きれいで、めちゃいいプロポーションだったと書いてあるのだが、残念ながら私はお目にかかったことがない。善良さなんかどこを探しても見当たらなかったというから、「ティファニーで朝食を」のホリーみたいな女性だったのかもしれない。
その後、一年間、横井くにえ、片山知子が番組をひきついだとこの本は書いている。
開局時には自由な分、色々なエピソードが生まれて来るようだ。
「しんくう地帯」の話はとりあえずこのくらいで。
コメントあればよろしくです。